涸沢から望む奥穂高岳
2014年8月22日(金)〜26日(火)
メンバー:吉田さん、渡邉さん、櫻田さん、小橋さん、嶋脇さん、小田中 智
コース:上高地〜横尾〜涸沢ヒュッテ〜穂高岳山荘〜涸沢岳 往復
今年のツアー計画を配布してすぐに、一人の方から申し込みをいただいた。
私にとって2番目に憧れの穂高連峰だ。若い頃は、夏の岩登り、冬の縦走、冬期登攀からの縦走と、思い出深き山である。
数年前からツアーを計画していたが、メンバーが集まらず行けないでいたが、今回やっとメンバーが集まり計画を実行できることになった。
宿泊は温泉と山小屋泊まりという大名山行ではあるが、嶋脇さんは一人だけでテント泊登山をすることになった。さすが体を鍛えている若者である。
交通は岩手から自家用車で往復。コースは上高地から涸沢、ザイテングラートを経て奥穂高岳、条件次第で涸沢岳を登り、同ルートを下山するオーソドックスなコースである。
22日(曇り)
嶋脇さんは私の家に前泊したので、小橋さん、吉田さん、櫻田さん、渡邉さんを迎えに行き、盛岡インターから高速道に乗る。
天気予報は、明日は良い天気であるが、その後はあまり良くない予報である。紫波サービスエリアで朝食後、松本を目指して高速道を走る。
2時間ごとに休憩をし、上河内サービスエリアで昼食とする。久しぶりに浴びる太陽はジリジリ暑いが、ほぼ1ヶ月ぶりの太陽だ。明日からの好天を祈る。
岩舟JTCから北関東道に入るが、高崎JTCから谷川岳に向かってしまい、1区間乗り越して戻る。横川SA付近から眺める妙義山の山容は素晴らしく、なかなか見れない風景に見とれながら走る。
松本ICでようやく高速道を降り、野麦街道158号を沢渡温泉目指して走って行く。今夜の宿泊場所は沢渡のペンション しるふれいで、10時間30分ほどかかり17時過ぎに着いた。途中で
嶋脇さんに運転を代わってもらったので助かった。
18時から夕食なので素早く風呂に入る。沢渡はマイカー規制による終点地で、この先はシャトルバスに乗り換えないと上高地に入れない。沢渡の宿泊所には温泉が引かれ、このペンションも温泉である。
食卓のテーブルに今回のメンバー6人が座り、生ビールで乾杯する。若干1名はウーロン茶だった。料理は洋食でとても美味しく、会話をしながらゆったりと食事を楽しんだ。
23日(晴れ)
事前に用意された簡単朝食を食べ、6時発のシャトルバスに乗り込む。今朝方まで降っていた雨は止み、どんよりとした曇りであるが、上空は明るいので晴れそうな雰囲気もある。
上高地バスターミナルでは雲はだいぶ上がり、低い山が見えている。きっと晴れるぞ!と期待をこめながら歩き始める。梓川の清流が見えてくると河童橋は間もなくだ。まだ早い時間のためか人通りは少ない。
整備された林道をダベリながらゆっくりと歩いて行く。間もなく木陰から日が差し込め、梓川の清流が久しぶりの太陽を浴びて美しく輝いている。
新村橋からは、左に明神5峰東壁、中央に茶臼ノ頭が青い空を背景に美しい姿を見せてくれた。こんなに晴れるとは思っていなかったので、とても嬉しい。昔は壁を登るために幾度となくこの光景を目にしているはずであるが、初めて見る景色のように感じる。
時おり林道から川辺に出て、景色を眺めたりしながらのんびりと歩く。今夜は涸沢ヒュッテ泊まりなので時間はたっぷりある。横尾の食堂で昼食とする。
横尾大橋を渡り30分程歩くと、左に屏風岩東壁が見えてきた。屏風岩東壁は、ルートの取付きから200m〜300mの高さがある急峻な壁で、オーバーハング帯もある。
若い頃、夏、春、冬と3本のルートを登っているので、ルートを目で追ってみると、その時の光景を思い出してきた。その当時は、私にとってそこが命だった。懐かし思いと、いまだに憧れもある。
多くの人たちに追い越されながらゆっくり登って行くと、本谷橋に着いた。多くの登山者が休んでいて、流れで顔を洗っていた。吊り橋を渡り急な登りとなった。
急な登りもゆっくり歩くと大して疲れない?。モミジカラマツソウやミヤマダイコンソウなどが咲いている。さぞかし、初夏には涸沢沿いの登山道には多くの花が咲いていることだろう。
ようやく涸沢ヒュッテの赤い屋根が見えてきたが、いざ見えてもなかなか着かない。石畳を登って行くと音楽が聞こえてきた。リチャードクレーダーマンの曲も聞こえてきた。
着いた涸沢ヒュッテはずいぶん立派な建物に変身していた。なんと、さっきの音楽は生バンドで演奏している曲だった。屋根上のテラスで演奏し、テーブルには多くの人たちが飲みながら演奏を聴いていた。
まずは、宿泊の手続きをして寝床に行く。嶋脇さんはテント泊なので、今夜は5人である。仕切り部屋を1つもらい、敷ふとん1枚に1人のスペースのうえ、さらに2人分のスペースがある。今夜はそれほど混雑していないようだ。
寝床を確保したのでテラスに行き、生ビールで乾杯する。正面には涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳、後方には屏風ノ頭と素晴らしい光景が広がっている。生ビールを飲みながら会話するには、最高のシュチエーションだ。
食事もまずまず良く、飲みながらの歓談は楽しい。部屋で横になりながら飲み直していると、下から音楽が聞こえてきたので降りてみると、食堂で再びコンサートをやっていた。
空いている片隅に座ると、飲み物が無料だといい、コニャックをいただく。隣のご老人と話をするとここの会長さんで、今日は何から何までめぐり合わせがよくビックリだ。
渡邉さんの姿は見えなく、星を撮影していたという。大きなカメラとレンズを持ってきていた。
梓川と河童橋
梓川をバックに
河童橋
明神橋から望む明神岳5峰と長七ノ頭
前穂高岳と明神岳
トリカブト
新村橋から望む北尾根と前穂高岳
新村橋にて
奥又と前穂高岳東壁
横尾大橋と屏風ノ頭
屏風岩東壁と中央癖
屏風岩右岸壁
本谷橋
涸沢槍と奥穂高岳
モミジカラマツソウ
ミヤマダイコンソウ
涸沢から見る屏風ノ頭
涸沢ヒュッテ
涸沢音楽祭
涸沢岳と奥穂高岳
涸沢槍と奥穂高岳
ヒュッテで乾杯
タイム:上高地(6:40)→横尾(10:25〜11:05)→本谷橋(12:30)→涸沢ヒュッテ(16:00)
24日(曇りのち小雨)
5時からの朝食なので4時半に起床する。外は雲が低く垂れこめており、上方は全く見えない。嶋脇さんと合流し6時過ぎに出発する。
10分ほど歩いて、頼んだ昼食を忘れてきたことに気がついた。みんなを待たせて弁当を取りに戻る。石畳を過ぎ、涸沢小屋からの道が合流する手前は雪渓が残っていた。
この付近は涸沢カールのお花畑で、終わりかけの花たちが頑張って咲いていた。ハクサンイチゲはちょうど見頃で、斜面一面に咲き誇っていた。
山の斜面を緩やかにトラバースしていくとザイテングラートの尾根の下に着いた。いよいよここから本格的な登りで、鎖場や梯子もある。今日は岩場があるため、出始めからストック1本の使用にしていた。
鎖場を過ぎた頃雨が降りだしたが狭い岩場を通過中だったため、道が広くなる所まで行ってからカッパを着る。着る頃にはだいぶ濡れていた。
岩の片隅にはイワツメクサやイワギキョウなどが咲いており、花たちに励まされながら、ガスる尾根筋を登って行く。穂高岳山荘まで20分の標識が見えた。
山荘に着いたがガスっているので、ひとまず小屋に入り様子を見る。上に行った方から情報を聞くと、風がかなり強く戻ってきた方もいるようだ。昼食弁当を食べ、条件が良くなるまで待つことにする。渡邉さんは涸沢ヒュッテに小型カメラを忘れてきて、電話するが届いてはいなかった。
今夜はここに宿泊するため、山頂に登るのはしばらく待ってからでも遅くない。展望が良くなるまで待つにこしたことはない。涸沢岳は明日の朝登ってもいいのである。
しばらく待つとガスは上がり風も弱くなり、涸沢ヒュッテも見えるようになってきた。登るのは今だ。3時間じっと待って、13時山頂目指して行動する。
登り始めから岩場で、梯子と鎖場の連続だ。離れないようぴったりと間隔をあけずに登って行く。岩場を越えてしばらくすると、下ってきた方から雷鳥がいることを教えられる。指差す方向を見ると茶色い1羽の雷鳥が見えた。なんとラッキーなことだろうか。
イワギキョウの群落を過ぎると間もなく山頂の大ケルンが見えた。ケルンの上に立つ小さな神社は新しい立派なものに変わっていた。先客がいたので待ち、入れ替わって記念写真を撮る。これを最後に私のカメラは電池切れのためか動かなくなってしまった。
ガスは晴れ、風もほとんどなかったが、残念ながら展望は全くなかった。しかし、この天気でも良い方である。小屋で待たないで来ていたら、強風で途中から引き返したのかもしれない。
次の登山者も来ていたので入れ替わって下り始める。すると間もなく南西の雲が流れ、ジャンダルムが一瞬の間見えた。白い雲から浮かび上がるようにドームの岩壁が見えたのだ。写真が撮れないのが残念である。
下って行くと今度は子供の雷鳥が見えた。奥穂から北穂の稜線を境にして、長野県側は天気が悪いが岐阜県側は割と良く、笠ヶ岳の山頂下が見えている。
岩場を慎重に下るとまたガスり始めてきた。時間はまだ15時なので、涸沢岳を往復することにする。登れる時に登っておかないと、明日はどうなるかわからないのである。
道すがら韓国人の姿が目立ち、小屋はマナーの悪い韓国人に占領されているかのようだった。私たちは個室をとっていたので、雨のためテント泊を止めた島脇さんが加わり、6人でちょうどの快適な個室生活となった。
6時の夕食は制限時間30分ではあったが、ビールで乾杯し時間ギリギリまで歓談しながら食事する。
イラスト概念マップ
キバナシャクナゲ
オトギリソウ
ヨツバシオガマ
ハクサンイチゲ
クモマグサとイワツメクサ
ザイテングラート
イワギキョウ
ザイテングラート中間部
ザイテングラート上部
穂高岳山荘
涸沢カールと北尾根
奥穂高岳への岩場
奥穂高岳へ
雷鳥
イワギキョウ
奥穂高岳山頂
新しくなった穂高神社
山頂にて
タイム:涸沢ヒュッテ(6:10)→ザイテングラート基部(8:10)→穂高岳山荘(9:55〜13:00)→奥穂高岳(14:05〜20)→
穂高岳山荘(15:20〜30)→涸沢岳(16:10)→穂高岳山荘(14:30)
25日(小雨のち曇り)
夜中トイレに起きると、雨が強く降っていた。5時の朝食をすませ、出発の準備をする。雨は上がり霧雨状態まで回復した。どちらにしても今日は下るだけであるから、雨が降ろうが風が吹こうが問題はない。
6時下山を開始する。今日の難所はザイテングラート中間部の鎖場である。とにかくゆっくり歩き、間隔を開けないように歩く。カメラが昨日故障したので、今日は下りに専念する。
難所を越えてザイテングラートの基部まで下るとホッとし、休憩する。あとは石畳を下ると涸沢に着くのだ。涸沢カールの雪渓はパスして、涸沢小屋へのコースをたどる。
ヒュッテで忘れたカメラを確認するが、残念ながら届いていなかった。家に帰った翌日に、涸沢カールで見つかったカメラが届いたと連絡があったという。不思議な話であるが、カメラを持ち去ったはいいが、特殊なカメラらしいので途中に捨てていったものだろう。それにしてもカメラが無事で良かった。
今夜は沢渡の旅館泊まりであるが、涸沢から横尾、横尾から上高地と先はまだまだ長い。本谷橋へと急な下りを下って行くと、ガスも上がり青空が見えてきた。
危険地帯が終わると、またおばちゃま達の話語り劇場が始まった。それにしても77歳のおばちゃまは元気だ。
本谷橋で2日ぶりの暖かい太陽を浴びる。涸沢の流れを見ながら日光浴、こんな光景もまた素敵である。横尾の途中から眺める屏風岩は、濡れた岩肌に太陽が当たり「また登りに来い」と誘うように輝いていた。
横尾の食堂で昼食とする。今回の山行は工程の途中に山小屋があるため、食堂での昼食とした。荷物を大して持たないで登れるのは楽であり、まさしく大名登山である。
上高地まで残り11km、足が疲れてからの上高地はまだまだ遠い。13時ではあるが、歩くごとにまだまだ向かってくる登山者は多い。さすが日本一の穂高連峰である。
徳沢、明神と過ぎ、河童橋は間もなくだ。16時過ぎと時間は押しているが、せっかく訪れたのだから買い物タイムをもうける。バスターミナルでシャトルバスに乗ると雨が降ってきた。
沢渡の泊まったペンションに行き、車をとって今夜の宿泊所「旅館 湯の花荘」に向かう。旅館に着いたのは18時近かった。2日ぶりのお風呂、なんと気持ちがいいのだろう。
部屋で風呂あがりのビールも美味しい。まさしく大名、いや殿様気分だ。19時から夕食で、改めて乾杯する。後半、天気が悪いながらも予定通り登れたことに、みんな大満足で嬉しそうだ。
食事も美味しく品数も多く、ゆっくりと語り、飲み、最後の夜を楽しむ。
タイム:穂高岳山荘(6:00)→涸沢ヒュッテ(9:00〜20)→横尾(12:30〜13:00)→上高地(16:50)
26日(雨)
7時の朝食をいただき、帰省の準備をする。昨夕からの雨はやっとあがった。今日の走行ルートは、新潟をまわって帰る予定である。昔、明星の帰りに新潟付近でカニを食べた記憶がある。
松本ICから高速道に向かう。新潟の手前にある寺田魚のアメ横が有名だというので、途中で高速道を降り寄ることにする。途中は雨が降ったり止んだりと忙しい天気だ。
西山ICで高速道を降り、寺田漁港に向かう。訪ねながら駐車場を教えられ、魚のアメ横に着くと、そこは昔に立ち寄ったカニの店だった。10数件の魚店が立ち並ぶアメ横は、昔に比べるとだいぶ立派になったように感じる。さすがにアメ横と呼ばれるだけある。
お昼を過ぎていたのでまずは食堂で腹ごしらえをする。ウニ丼、いくら丼、海鮮丼とそれぞれに好きなものを注文する。内容と鮮度を考えるとだいぶ安い料金だ。私は海鮮丼を頼んだが1,080円と安く、とても満足できる丼だった。
新潟から高速道に乗り、ひたすら盛岡を目指して走る。盛岡インターで高速道を降り、順番に自宅までお送りし、家に帰ったのは20時を過ぎていた。
穂高方面も8月からずっと天気が悪いと言っていたが、今回はその合間をぬうようにいい時に奥穂高岳の山頂に立ったように思う。
憧れの穂高連峰、念願のツアー登山、温泉の宿泊、山小屋の宿泊と全てに楽しく、食事も美味しく、楽しい楽しい北アルプス穂高連峰の旅だった。
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