鹿島槍ヶ岳 天狗尾根(盛岡山想会冬山合宿)

天狗尾根 イメージ

1972年12月27日〜1973年1月3日
 パーティ/CL 岩淵 一雄、SL 佐藤 雅信、高井 和郎、大谷地 政光、土門 一男、小田中 智、佐々木 正


12月27日、28日
 北海道のニペソツ山合宿に向かう仲間に見送られて盛岡を後にし、車中で荷物の整理をする。かなり軽量化に力を入れたのだが、結局キスリング一杯になってしまった。水沢駅で赤岩尾根から鹿島槍ヶ岳を目指す水沢山岳会の皆さんと一緒になり、話題は尽きない。
 それに列車の暖房が暑くてなかなか眠れなく、狭い座席の上で何度も寝返りを打っているうちに上野に到着する。
 新宿から松本方面に向かう列車は、季節がら山へ行く者、スキーに行く者など大勢いるが、例によってうまいこと座席を確保することが出来た。そして、寝不足を補おうとよだれを流しながら昼近くまで眠る。
 信濃大町に降りるが、雪は所々に残っているだけだった。12時30分過ぎに予約していたマイクロバスが来て、キスリングを積み込んで、「車が入れる所まで」ということで大谷原へ向かう。合宿前に聞いていた情報とは異なり、雪は少なく大谷原まで乗り入れることが出来た。
 ここまで一緒だった水沢山岳会の人たちと別れる。
 この先、踏跡はなくツボ足で進むが、途中からワカンを付ける。歩き始めてから30分ほどで川原に下り、昭電取水口に着く。前のパーティの幕営跡があり、ここを少し過ぎるとようやく今日の幕営予定地荒沢出合いに到着した。
 ウィンパーテントを張り終え、落ち着いた頃から雨が降り始め、次第に強くなりツエルトを広げ、テントにかぶせる。

タイム/信濃大町発(12:40)→大谷原(13:50)→大川沢(14:45)→昭電取水口(15:25)→荒沢出合(15:40)

鹿島槍ヶ岳概念図


12月29日(曇りのち雪)
 昨夜来の雨も既に止んでいた。テント撤収後、みんなで身体をほぐし、アイゼンを付けて出発した。昨夜からの雨でトレースは堅くなっており、アイゼンの利きは良い。途中の荒沢を横切り、小さな尾根に取り付くが、急斜面でうんざりするほど長かった。2度ほど休憩を取り天狗尾根に出る。トレースが付いていたから短時間で出ることが出来たが、これをラッセルしながら登ることを思うと、先行パーティの苦労がしのばれる。
 天狗尾根はアプローチが短く、高度をドンドンと稼ぐ。登り詰めて行くと幾分広い尾根となり、先行パーティの天幕が3張りほどあり、この付近が森林限界のようで、我々も1,900m付近に天幕を張った。
 岩淵、佐々木、佐藤、大谷地で上部の偵察をすることになり、トレースにしたがって登って行くと第1クーロアールに出る。登るにしたがって嫌な感じのする所があり、今にも雪崩れそうである。尾根は上部になって極端に狭くなっており、慎重に進む。
 天狗の鼻らしい所を越えて、第2クーロアールに出る。随分長い所で、フィックスが所々に張られており、下りが心配される所である。
 あえぎあえぎ登り続けると急に広い台地に出た。5パーティ程の天幕が張られてあった。
ここでBCと交信し、戻ることにする。次第に天候は悪くなり、風と降り積もった雪とで見えなくなりつつあるトレースを新たにラッセルしながら下り、第1、第2クーロアールにフィックスし、BCに戻った。
 16時にとった天気図によると、明日も荒れそうだ。

タイム/荒沢出合い(6:30)→1,500m(7:10)→1,800m(8:55)→1,900m(9:40)→偵察(11:00)→第1クーロアール
    (11:30)→第2クーロアール(12:00)→2,500m(13:00)→BC(15:40)


12月30日(雪のち晴れ)
 午前4時に起床するが、新雪が40cm程あり、また風が強く雪崩の恐れもあったのでしばらく様子を見ることにする。
 9時を過ぎる頃から天気も良い方向に向かい、雪も止み、アタック隊の岩淵、佐藤、大谷地の3名を2,500m付近(天狗の頭)まで上げることにし、急きょ出発準備にかかる。
 11時ちょうど、サポート隊と荷を分けて持ち、昨日偵察した地点まで急ぐ。2?3のパーティが通ったと見え、トレースが付いていた。
 快調なペースで第1クーロアールに達する。ところが、昨日フィックスして置いた会の9mmザイルが誰かに持ち去られており、頭にカッカ、カッカ来る。余りのモラルの低さに同じ山男として情けなくなる。心を落ち着けて慎重に登り、第2クーロアールに着く。ここのフィックスはそのまま残っており、苦もなく越して天狗の頭に出る。
 ここでサポート隊と別かれ、我々3人は雪洞構築にかかり、2時間後には立派な雪洞ができあがった。静かな雪洞の中にラジュースの音が響き、楽しい食事をしていると、佐々木、高井がザイルと石油を持って登って来た。サポート隊とは言え、本当に申し訳なく思う。それにつけても明日のアタックは頑張らなければならない。

タイム/BC発(11:15)→第1クーロアール(11:45)→第2クーロアール(12:25)→天狗ノ頭(13:05)雪洞完成(16:00)
    →サポート隊到着(17:05)→同下山(18:05)


12月31日(雪のち晴れ)
 「そろそろ5時だぞ!」という声で起こされる。身体の節々が少々痛む。今日1日のカロリーに十分なくらいもちを焼いて食べる。
 定期交信で雪洞内のツエルトを開くと、視界はあまり良くなく、更に新雪が30cm程積もっており、ちょっと時間を遅らせて雪洞を出る。
 トレースはなく、昨晩の雪と風でラッセルは腰まであった。5分ほど歩くと新しいトレースがあり、何分も歩かないうちに先行パーティに追い付く。ラッセルは浅い所で腰、深い所は胸まで達した。先行した2パーティと合流し、ラッセルを交替する。一緒のパーティは九州と関東のパーティでラッセルのスピードが上がらない。我々は3人で他のパーティの倍以上のスピードで距離を稼ぐ。しかし時間ばかり経過し、岩小屋に着いた時はもう10時を過ぎていた。
 「本当に今日中に登れるだろうか」と、頑張ってラッセルするのだが、天狗尾根最大の難所の岩峰に達した時は1番ラストにあたり、そこで1時間ほど時間待ちとなってしまった。
 アンザイレンして岩に取り付く。嫌な感じの所だったが割とすんなりと越し、先を急ぐ。ナイフリッジのラッセルはしんどく、大変神経を使うが、これが何とも言えないくらい楽しい。やっとのことで東尾根との合流点に着いたのは13時半。ますます気持がいら立つ。しかし、「頂上に登って、帰りが遅くなってもビバークすれば」と思うと幾分気楽になる。
 それでも、いくら歩いても、いくら雪をかいても頂上は全然見えない。胸まで達するラッセル、深い時は身体がすっぽり見えなくなる。
 ラッセルを繰り返し繰り返し、一歩いっぽ進むうちに高度を上げ、頂上間近になるとまたラッセルが回ってきた。今までのうちで一番厳しいような感じがする所で、次期リーダーを期待される大谷地が確実に登って、ついに鹿島槍ヶ岳北峰に立った。
 今までのラッセルの苦労が、倍以上の感激と喜びに変わった。
 10分くらいの間に写真を撮り、遅くなると岩峰で時間を食いそうだったので、早々に下山する。
 苦労して付けてきたトレースを走るようなペースで下り岩峰に出るが、まだ登ってくるパーティもあり、それを待って懸垂で下る。
 だんだんと良くなる天気に、アタック成功の感激が更に湧いてくる。足取りが若干重くなってくるが頑張ってACに帰った。
 サポート隊が全員ACに登っており、熱いコーヒーで迎えてくれた。大みそかでアタック成功。そして全員雪洞泊まりで楽しい夜を迎えた。


荒沢ノ頭 イメージ

タイム/AC(7:30)→岩小屋(10:00)→岩峰下(11:15)→岩峰取り付き(12:00)→東尾根合流点(13:30)→北峰頂上    (14:35)→岩峰下(15:15)→AC(16:25)


1月1日(快晴)
 昨晩のミーティング通り第2登を目指して、サポート隊を含めて全員出発する。昨日とは全然比較にならないほど踏みしめられたトレースを快調なペースで登り岩小屋に着く。 
 昨日3時間もかかった所を、今日は1時間もかからない。富士山がよく見え、レンズ雲がかかっており天気は午後から崩れてきそうだが、現在のペースから全員アタックすることにした。
 新人2人も第1岩峰を苦もなく越え、将来性が見られた。この岩峰からは高度感のあるナイフリッジの登高をし、昨日、岩小屋付近をラッセルに苦労していた頃の時間に全員北峰に立った。360度の展望に剣岳から穂高山塊等が見え、冬の北アルプスを満喫する。
 やはり観天望気が正しかったようで、雲がかかり、風も強くなってきたので早々に下山にかかる。問題の岩峰も捨てなわを見つけ、それを用いて下る。
 AC帰着後、昼食とラーメンを食べ、その後、ACを撤収しBCへ下山する。トレースは吹雪で半分埋まっていたが、ピッケルで体を確保し、慎重に下る。第2クーロアール地点で先行パーティが懸垂で下降しており、大分待たされる。
 我々は、既設のフィックスザイルを使い、スピーディに下る。第1クーロアールは我々が張ったフィックスが充分使われているようで、撤収しないでそのまま残して下る。
 それにしてもここで使った9mmザイルが盗まれたのは、何としても悔しい。
 3日振りに帰ってきたBCは、多少雪に埋もれていたがしっかり張られていた。我々が天幕に入る頃には吹雪となり、早々に潜り込み、ホッとする。
 夜半から雪が雨に変わり、朝までに上がってくれればと思いながら眠りについた。

タイム/AC発(6:40)→岩小屋(7:40)→第1岩峰下(8:30)→鹿島槍ヶ岳北峰(9:05)→AC(11:20?13:20)→
    BC着(15:00)


1月2日(雨のち曇り)
 6時起床、昨夜からの雨は朝になってもまだ降り続いており、しばらく様子を見ることにしてまた横になる。
 9時頃から遅い食事の支度にとりかかり、手軽で腹持ちの良い雑煮もちを作った。この頃から雨がみぞれに変わり、将棋で暇つぶしをしていると更に雪に変わったので、急きょ撤収して下山することにし、狭い天幕の中はさしずめ戦場のように慌ただしくなる。
 ゴミを燃やして出発準備は完了する。その隣りに張っている京都趣味山の会に下山のあいさつをし、住み慣れたBCを後にする。
 下りのトレースは、歩幅が広い上に、上からドシンドシンと下りるものだから、一番ラストを歩く者は、足を伸ばしても下に届かず、尻をついてようやく届く状態だった。それが長い時間続くと、いい加減嫌になる。
 尾根から一気に沢に下り、沢伝いに下る。大分長い時間歩き続け、そろそろ休憩しても良い頃なのだが、雪崩の心配もあったので大川沢まで歩き続ける。
 トレースのまま下ったためちょっとしたうかつなミスをし、一つ隣の尾根を下ってようやく昭電取水口に着き、一休みしながら腹ごしらえをする。歩いている時は非常に暑いのだが、荷を置いて休むとすぐ冷え、早々に食べて歩き出す。
  「いざ下山」というと足は速く動き、大谷原には予定の半分の時間で着いてしまった。
 ここでアイゼン等を外し、さっぱりとした身なりになって自動車道を歩いて行くと、間もなく鹿島部落に着いた。

タイム/BC撤収(11:00)→BC発(11:40)→荒沢出合い(13:20)→大谷原(14:00)→鹿島部落(14:30)

                              盛岡山想会山懐10号より掲載 記:佐藤 雅信
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