剣岳 源次郎尾根上部
1981年4月28日〜5月6日
パーティ/CL 小田中 智、砂子 勉、清水 薫、佐藤 明義、渡邉 正一(途中参加)
剣岳は春に登る山として最高の山だ。山が大きく深く、周りの谷には雪渓が残り、いろいろなコースから尾根や壁に取付くことができ、下降路としても便利である。
前回までは、剣岳北側の小窓尾根、剣尾根、八ッ峰を登っていたので、今回は2年、3年会員のレベルアップと雪渓技術の再確認のため、今まで入ったことのない黒部ダムからの剣岳を目指した。
最初は、雪渓に慣れるために内蔵助カールからの真砂岳、次に剣沢にベースを移しての八ッ峰からのチンネ左稜線の継続登攀。
岩壁では、剣岳の岩場の中では難しいルートの中に入る、源次郎1峰平蔵谷側フェースの登攀と、雪、岩稜、壁とバリエーションを計画した。
4月28日
昼過ぎの上野行きの特急で盛岡を出発する。
新宿から中央線の長野行き夜行列車に乗り込み、なんとか座席を確保する。
4月29日(晴れ)
信濃大町で下車し、タクシーで扇沢へ向かう。扇沢からトロリーバスで黒部ダムへ行き、展望台の脇から黒部川に下る。
浅瀬を探して靴を脱ぎ、膝下まで冷たい水につかって徒渉し、対岸に渡る。
残雪を踏みしめながらしばらく行くと内蔵助谷分岐で、黒部丸山東壁の岩壁が現われる。初めて見る大岩壁に見とれながら、東壁の基部をトラバースするように歩き内蔵助平に着く。
明日は、内蔵助カールから真砂岳に登るので、ここにテントを張る。
コース/黒部ダム〜内蔵助谷分岐〜内蔵助平
4月30日(曇りのち晴れ)
谷一面が雪で覆われている内蔵助カールは単調な登りで、日が高くなるにつれて雪が腐り潜ってくる。キックステップを交代しながら急になった斜面を登ると、立山の稜線に出て真砂岳に着いた。
せっかく来たので、大汝山、雄山と立山三山を登り、富士の折立を過ぎたあたりから内蔵助カールを尻セードで下る。
雪は腐っているためカッパを履いても尻はぬれた。テントを剣沢に移し、これからのベースとするため撤収し、ハシゴ谷乗越へと急な登りをあえぎながら登る。さすがに、3,000mのピークに登り、更に下ってからの急登はきつい。
真砂沢ロッジを過ぎ、源次郎尾根の下部にベースキャンプを設営する。今日は体力的に、きつい一日だった。
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剣岳周辺概念図 |
コース/内蔵助平〜内蔵助カール〜真砂岳〜雄山〜富士ノ折立〜内蔵助平〜ハシゴ谷乗越〜剣沢
5月1日(晴れのち曇り)
明るくなり始めた頃、八ッ峰1峰への雪の詰まったルンゼに取付く。
3峰は岩場のため砂子がトップでザイルを固定し、遊動リングにして越えて行く。稜線は両側がスッパリと切れ落ちた雪稜で、砂子と清水が交代でトップを歩く。
5峰は懸垂下降で下ると5・6のコルに出る。6峰からは峰は大きくなりアップダウンの雪稜は急しゅんなナイフエッジとなっている。八ッ峰の頭から長次郎のコルへ下ると核心部は終了する。
砂子と清水は、これからチンネ左稜線を登攀するので別れ、私と佐藤は剣岳頂上へ向かう。頂上は風も穏やかで、360度の大パノラマを楽しみ、長次郎谷左俣を下る。
上部は所々に亀裂が口を開いているので、危険地帯を過ぎてから尻セードで下る。
ベースに着くと、隣にテントが1張あった。
暗くなり始める頃、砂子と定時交信をするが応答しない。時間を逆算してみると、暗くなる頃にはチンネを登りきっているはずで、稜線に出ると電波の通りは良いのだが夜になっても交信はつかず、結局、2人は帰って来なかった。 |
チンネ左稜線ルート図 |
八ッ峰
チンネ全容 イメージ
コース/ベース〜八ッ峰1峰〜8峰〜長次郎コル〜剣岳〜長次郎谷左俣〜ベース
5月2日(曇りのち吹雪)
朝になってようやく砂子とトランシーバー交信ができ、これから長次郎谷を下り始めるとのことで安心する。やがて、睡眠不足のため疲れた顔つきで帰って来た。
昨日は登攀終了後に暗くなり、ミゾレが降り始め、長次郎の下降ルートも分からなかったので、岩と雪渓のすきまの空洞を見つけてビバークしたとのことだった。
砂子と清水は眠り、天気も悪いので、今日合流する渡邉を迎えに佐藤と一緒に剣沢小屋に行く。帰りには吹雪となっていた。
コース/ベース〜剣沢小屋〜ベース
5月3日(晴れ)
今日は源次郎尾根1峰正面壁の登攀だが、朝起きると20cm程の新雪が積もっていたので出発を見合わせ、しばし時を待つ。10時過ぎ天気が良くなったので出発する。
平蔵谷を登って行くと源次郎1峰の正面フェースが見えてくる。下部の中央ルンゼと右に柱状岩壁、上部フェースは名古屋大ルートと成城大ルートで構成されており、下部中央ルンゼから上部成城大ルートを登る計画である。
源次郎尾根1峰下部中央ルンゼの下で平蔵谷から剣岳頂上を目指す清水、佐藤、渡辺と別れ、砂子と中央ルンゼに向かう。中央ルンゼは半分ほど雪に埋もれており、下部には青く光る氷壁が見えた。
小田中トップで氷壁をピオレトラクションで登り出すと、ごう音とともに平蔵谷上部から表層雪崩が起き、黙々と雪煙が降りてきた。下にいる清水達は、少し小高い右側の位置で休みながら我々が登るところを見ていたので、小規模の表層雪崩には埋まらなかった。
20m程の氷壁は青く光っており、プロテクションに2本のスクリューハーケンを打って越える。急な雪の斜面を登り、上部フェースの取付きに着く。
上部壁は急傾斜のためテラスやブッシュ以外には雪は付いておらず、スッキリとしたフェースとなっている。
小田中トップでカンテの簡単なフリーから始まり、2ピッチでハイマツテラスに出る。ここで右の名古屋大ルートと別 |
源次郎1峰上部成城大ルート図 |
れ、小田中トップでカンテ左の凹角に入る。ここからがルートの核心部である。
3ピッチ目をトップが登り終える頃からうす暗くなり、セカンドが登る時には暗くなっていた。
4ピッチ目、砂子トップで左にトラバースしながら、難しいフリーと人工を交えながらクラックを登る。ヘットランプの光では細かいスタンスが見えずらく、砂子は難しいフリーをよく登った。
5ピッチ目、小田中トップで難しいクラックのフリーからフェースを右上して登攀を終了した。
雪の付いたブッシュ帯を100m程登ると源次郎尾根の稜線に出た。既に21時を過ぎており、ベースと交信をして稜線を下り、下部尾根から長次郎谷側に下り22時過ぎベースに帰る。腹が減り、体力的にもクタクタだった。
清水達は、平蔵谷の途中から戻って来たという。
源次郎1峰正面壁
コース/ベース〜源次郎尾根1峰下部中央ルンゼ〜上部成城大ルート〜源次郎尾根下降〜長次郎谷〜ベース
5月4日(曇り)
昨夜の疲れでだいぶ遅く起きたため、今日は休養日とする。
昼過ぎから近くを散策に出かけ、小さい岩を見つけては登って遊ぶ。岩から飛び降りた時に左足首をねんざし、ベースに戻って冷やす。
今晩は合宿最終日の夜なので、残っている食料を集め、腕によりをかけておかずを作り遅くまで語り合う。
合宿ではいつも私が料理当番である。限られた材料で作るのだから、どうせ食べるならおいしく食べるために、料理当番を受け持っている。
5月5日(晴れ)
昨日のねんざは治っておらず、歩くと痛みが走りビッコをひきながら、皆に遅れてゆっくりと下山する。
黒部ダム手前の右にそびえる丸山東壁は、ブッシュも少なくスッキリとしたいい壁だ。いつの日か登りたいと思う。
信濃大町から、夕方の急行で新宿に向かう。
コース/剣沢〜ハシゴ谷乗越〜内蔵助平〜黒部ム
盛岡山想会山懐10号より掲載 記:小田中 智 |