前穂高岳 北尾根(盛岡山想会冬山合宿)

北尾根

1979年12月28日〜1980年1月2日
 パーティ/CL 小田中 智、砂子 勉、清水 薫、外口 順一

合宿に至るまで
 今までの冬山合宿では、北アルプスの主だった主稜線を先輩達の力の基に登らせてもらったが、今年からは自分がリーダーとして後輩を引っ張って行く時期にきていた。
 最近の山行形態は岩登り中心の山行が多くなり、川目のゲレンデや猿岩でのトレーニングを経て、県外の岩壁を登り始めていたので、冬山合宿も岩登り性のあるルートを目標にしていた。
 今年はやる気のある新人が入り、トレーニング次第では県外の冬山合宿を組める可能性があったので、岩登り的要素もある「前穂高岳北尾根」を、新人2名と2年会員で挑むことにした。
 しかし、2年会員とアイゼンを履いたこともなく、冬山経験のない新人での「前穂高岳北尾根」は、かなりの困難が予想された。
 昨年の槍・穂の縦走をした時のメンバーにも冬山経験の無い新人がいたが、小泉先輩のトレーニング方法により体力、アイゼンワーク、精神力強化を目標に、3ヶ月間のトレーニングと山行を踏まえて合宿を成功させた実績があった。
 今回もそのトレーニング方法に基づいてプログラムを組み、10月からトレーニングを開始した。
 平日のトレーニングは、基礎体力の強化と目的に向かっての仲間意識の向上を目的として、毎週水曜日と金曜日の19時に集合して1時間の合同トレーニングをした。
 山行トレーニングでは、体力強化とアイゼン歩行技術の強化を目的に、雪の無い登山道を30kgの荷物を背負ってアイゼンを履いた山行を毎週行った。
 11月の初旬にメンバーで偵察山行を行い、登るルートの厳しさと山のスケールの違いを認識した。
 山行トレーニングでは、アイゼンのツァッケを折り、アイゼンを二つつぶした者、涙しながら夏道を歩いた者もおり、12月後半の日曜日まで合同トレーニングと山行トレーニングは続けられた。
 脱落者もなく、トレーニングが終了する頃には体力、アイゼン技術もつき、線の細かった新人たちは「登って当たり前」という気持ちがみなぎり、たくましい顔つきになっていた。 
 合宿前の土曜日にはトレーニングの打ち上げとして、パープリン大会を行い、酔いつぶれるまで飲んだ。翌日、最終準備を行った。
 
○ 最終テントは5・6のコルとし、前穂高岳頂上への全員アタック。
○ 一人のザックの重量は22kg以内とし、共同装備と食料は4人で均等に分配。
○ 食料は軽量化し、アルコールは一切持参しない。



12月28日
 仕事を終え、急いで家に帰りザックを背負って盛岡駅へ向かう。
 先輩の見送りと差し入れを受け、「いわて3号」の夜行列車で盛岡を出発する。

12月29日(晴れ)
 新宿発の「アルプス1号」に乗り換え、松本へ向かう。松本からタクシーで沢渡へ行き、いよいよ合宿のスタートである。
 今年は雪が少なく、冬季閉鎖された道路には雪が無く、上高地まで来ても雪は無かった。
 テントをぬらさないために、明神の便所にテントを張り泊まる。

北尾根概念図

コース/ 沢渡〜上高地〜明神


12月30日(快晴)
 徳沢園を過ぎ、新村橋を渡り、梓川を横切る。慶応尾根取付きまで来ると、ようやくうっすらと雪が現われてきた。
 通常の冬であれば、北尾根のルートとしては慶応尾根に取付くのだが、雪がほとんど無く雪崩の心配も全くないので、パノラマ新道を登ることにする。
 ザックの重量は22kgとトレーニング山行時の重量よりはるかに軽く、急登のパノラマ新道を先行するパーティを追い越しながら快調に飛ばす。
 北尾根の稜線も間近になってくると6峰から8峰のピークが目の前に迫り、3峰や前穂高岳が快晴の青空に光って見える。登るにしたがって次第に雪も多くなってくるが、快晴のため暑く下着姿で歩く。
 北尾根に出るとさわやかな風が吹いているが、冬山とは思えず5月のような天気である。初めてゆっくりと休憩し、昨年縦走した槍ヶ岳・奥穂高岳をじっくり眺める。
 積雪は多くなってきたがしっかりとトレースされており、7峰・6峰の急な雪壁にはフィックスロープがあり、外口が先頭でドンドン登って行った。
 6峰の急な斜面を下るとベースキャンプ地の5・6のコルに着いた。本来の冬山であればここまで2日間の行程だが、雪が少なかったこととトレースがあったことで楽勝でここまで来ることが出来た。


5峰への登り


5・6のコルより

コース/ 明神〜新村橋〜パノラマ新道〜北尾根8峰〜5・6のコル


12月31日(曇り〜風雪)
 いよいよ今日は核心部の3峰から前穂高岳への登りと下降である。
 6時過ぎ、曇ってはいるがまだ視界の利く中を出発する。外口、砂子、清水、小田中のオーダーで岩稜を登り始める。
 4峰上部の急な雪の斜面は奥又白側へと切れ落ちており、帰りの下降が悪そうである。北尾根は5月の山行や偵察で登っているのでルートの不安も無く、力量としても今までのトレーニングの成果を実践で出し切れば、我々新人中心のパーティでも十分登れると確信していた。
 3峰の登りはザイルピッチ3ピッチだが、外口がトップで奥又白側から回り込んで登り、9mmザイル45mを固定する。2番手の砂子と3番手の清水は固定ザイルにユマールを通し、5mの間隔をあけて同時に登る。砂子が着いた時点で、砂子はトップの外口を送り出し、ラストの私は清水にビレイされながらカラビナを回収していく。
 2ピッチ、3ピッチも同じ方法で、傾斜の緩い氷の詰まった凹角状からフェースを登って核心部を終了する。2人ずつで2パーティに分散して登ったほうが早いのだが、分れて登るためにはパーティの力量不足なのでこういう方法で登った。
 これからのルートではノーザイルで、各自緊張感と神経を足元に集中させながら一歩いっぽピッケルとアイゼンを利かせ、前穂頂上を目指す。トレーニング山行では夏道を30kg背負い、アイゼンを着けて歩いていたので、新人でもアイゼン技術には不安を感じられなかった。
 やがて吹雪はじめて視界が悪くなってきつつあった。11時頃、前穂高岳頂上に立ち、ガッチリ握手を交わす。
 奥穂高岳を往復するには十分な時間はあったが、天気はますます悪くなりそうだったので奥穂はあきらめ、計画通り5・6のコルへ下ることにする。
 下りでは一歩いっぽに神経を集中しながら、3峰の核心部は2回の懸垂で下る。
 4峰の急斜面を下る頃には吹雪で視界も悪くなっており、奥又白側に切れ落ちている不安定な雪の斜面を、外口が先頭で45mザイル2本を固定し、後続はカラビナを通し遊動式にして下り、吹雪の中、3時頃テントに帰った。
 今日は大みそかの夜、しかしアルコールは持参してないので、食事して早々に寝る。厳しい山に挑む時は、「アルコールを持つなら、その分ガソリンを持て」という小泉先輩の教えを守り、一切のアルコールは持参していなかった。


奥穂と涸沢岳

コース/5・6のコル〜3峰〜前穂高岳〜3峰〜5・6のコル


1月1日(曇り)
 今日は下山するだけなのでゆっくり出発し、しっかりとしたトレースやフィックスロープを利用してガンガン下る。
 パノラマ新道からは、誰からともなく走り出し、いつもながらの競争となっていた。単調な沢渡までの道のりも、松本での反省会のことだけを考えて無言のまま先を急いだ。
 松本では新宿行きの夜行列車までの時間、今までの厳しいトレーニングを経ての合宿成功と、今までアルコールを抑制していたため、夜の飲食店をさまよい歩いた。

コース/5・6のコル〜パノラマ新道〜上高地〜沢渡


合宿を終えて
 新人2名と2年会員という登山経験、冬山経験の少ないメンバーではあったが、目的のために厳しいトレーニングに耐え、余裕で合宿を終えることができたことは、とても立派な仲間達だった。
 松本での反省会中には、次回の冬山合宿目標を「北鎌尾根」という計画ができあがっていた。そして、今までアルコールを飲んでいなかった分、電車の時間まで松本の繁華街をさまよい歩いた。

                             盛岡山想会山懐10号より掲載 記:小田中 智
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