五龍岳〜鹿島槍ヶ岳縦走(盛岡山想会冬山合宿)

八峰キレット・鹿島槍ヶ岳 イメージ

1974年12月27日〜1975年1月1日
 パーティ/CL 佐藤  雅信、稲村  光彦、高木  伸、岩淵  宏一、渡辺  正一、佐藤 泰
      縦走隊 SL 大谷地  政光、藤原  徳明、小田中  智
          SL 野川  康夫、土門  一男、岩淵  一雄



 沢登りの季節が過ぎる頃、例年そうであるように、今年もまた仲間が集まると冬山合宿の話で熱気がでる。
 北アルプスでの合宿の回数が多くなるにつれ、次第に場所の選定に頭を悩める。限られた期間と参加メンバー等を頭に置き、「効果的な合宿をしよう」と、数度に渡って検討の結果、場所を遠見尾根から五龍岳、鹿島槍ヶ岳を縦走し、赤岩尾根を下ることに決め、縦走隊とサポート隊の2班に分けて行うことになり、準備に入った。

五龍岳・鹿島槍ヶ岳概念図


サポート隊 
12月27日

 年々合宿参加者が増える割に、見送る側が少なくなり、かつてのにぎやかな見送り風景はなく、何となく寂しい。それでもいつもながら予定していた差し入れを手にし、ホッとした。
 激励を受け北星に乗り込むが、12名が同じ車両でなかったので、明朝赤羽下車を確認して週刊誌を片手に、早々に寝台に横になる。

12月28日
 予定通り赤羽で下車し、新宿へ。新宿発アルプス1号は年末年始をスキー場で過ごそうとするスキーヤーでほぼ満員に近かったが、私たち12名の席は、すばしっこさと要領の良さで確保し、駅弁に早速食いつく。
 腹が満たされると将棋を出し、迷勝負にふける者、何度か読んだ週刊誌を更にしつこく読み返している者、みんな結構退屈せずに過ごしている。
 昼過ぎ、神城駅に下車する。我々が目指す遠見尾根は中腹までリフトが延び、スキー場と化している。中にはスキー場を縦断して歩いて登っていくパーティもあるようだが、我々は華やかにスキーウエアを着た一見上手そうで、全然そうでないスキーヤーを見るに耐えられそうにもなく、4人乗りテレキャビンとリフトを乗り継いで一気に高度を稼ぎ、早々にスキー場から離れる。
 地蔵の頭でスパッツを着け、立派に付けられたトレースを足早に進むと、やがてリフトの音も聞こえなくなり、ようやく山に入ったような気がしてくる。しばらく歩き、小遠見を過ぎた頃から先行パーティの天幕が見え始め、我々も今日の幕営地を探しながら登るが、どうせ泊まるならカクネ里の見える所まで登ろうと決めて、中遠見に天幕を張る。
 縦走隊はツエルト使用の予定だったが、初日からツエルトをぬらすのも気の毒で、サポート隊のツエルトにザックを入れ、必要な物だけを持って8人用ウィンパーテントに大挙12人潜り込む。
 結構どうにか納まったが、食事時は大変だった。食器を置く所がない上、自分の座る場所さえ危うい。
大騒ぎのうちに食事もを終え、団らんも早々に、明日の行動を考えて刺身状に横になる。

タイム/新宿発(6:50)→神城(13:20)→地蔵の頭(13:25)→稜線(14:00)→中遠見(15:00)


12月29日
 4時半の起床が少し遅れる。12名も入っていると何事もスムーズにはいかない。どうにか朝食を済ませ、早急に縦走隊6名を先に送り出す。半分の人数になると8人用テントはガラッと空いた感じがする。
 予定時刻より遅れているので急いで天幕を撤収し、縦走隊より1時間遅れてアイゼンを付けて出発した。雲り空で無風の中、尾根の上部に2〜3のパーティが行動していが、その中に縦走隊もいるはずだ。
 快調に進み、西遠見を越え、白岳の登りにかかった所で下ってくるバーティに会い、しばらく待った。立派なトレースが下る人によってすっかり壊されて、始末が悪い。
 私自身、この1年間満足な山行をやっていなかったせいもあり、キスリングを背負っての白岳の登りは結構厳しかったが昼前に白岳に着いた。計画では白岳にBCを置く予定だったが、適当な場所もなく、かといって五龍小屋の隣りも気が向かず、結局白岳を少し遠見尾根側に下った。雪崩の危険のなさそうな所を整地してBCを設営した。
 12時に五龍岳に立った縦走隊と定時交信をし、縦走隊は鹿島槍ヶ岳を目指し、五龍岳の影に消えて行った。我々はこれからでも五龍岳の往復は出来ないこともなかったが、合宿に入って2日目で登頂というのはあまりにもあっけない感じがし、明日登ることにした。
 ブロックを積んだり、見晴らしの良い快適な便所を作ったりしながら午後を過ごす。 
天幕の中はキスリングを入れてもまだ余裕があり、昨晩とはうって変わったわが家である。夜の定時交信は、縦走隊はキレット付近に入っている予定なのだが、我々が五龍岳の陰に入っているので交信できず、明日、五龍岳の頂上から交信することにし、広々とした天幕の中で大きくなって寝た。

タイム/縦走隊発(7:00)→サポート隊発(8:05)→大遠見(8:45)→西遠見(9:45)→白岳(11:25)→BC建設(11:40)


12月30日
 予定の起床時間より前だったが、ベンチレーターからのぞくと、まあまあの天気である。 
 早々朝食を済ませ外に出た。目前には五龍岳、鹿島槍ヶ岳、遠くには富士山等が見られ、すばらしい眺めである。しかし、うろこ雲が朝焼けに染まり、この天候もあまり長続きしそうにない模様だ。
 テントの中にいる仲間に支度を急がせる。最近特に感じるのだが、起床から撤収まで時間がかかり過ぎる。「遅くても起床から出発まで1時間を目標にしろ」と教えているのに、相変わらずモタモタしている。
 先行しているパーティがいたが、五龍小屋で追い越し、先に立つ。五龍小屋から少し進んだ所で、新人もいるためザイルを着ける。昨夜からの雪と風で若干ラッセルがあったが、ラッセルは望むところで、今冬山合宿初参加の稲村の力強さが頼もしい。
 夏道にほぼ忠実にガレ場、急斜面のトラバース、直登などを繰り返しながら稜線に出ると、さすがに風が強く、地吹雪で眼が痛い。BCを出てから1時間15分後、五龍岳の頂上に立った。
 今回の合宿は、当初、12名全員の縦走の考えだったが、全体の体力、新人も参加していたこと等を考慮して、我々はサポート隊として臨んだのだが、それにしても五龍岳の道のりはちょっとあっけない感じがしてならない。
 頂上で写真2?3枚撮り、鹿島槍ヶ岳方面の縦走隊を探したが、それらしき姿は見あたらなかった。
 稜線をしばらく下ると五龍岳の上部はガスに隠れ、今朝の朝焼けで推測した天候の崩れの兆候が見え始める。
 天候さえ良ければ唐松岳方面まで足を延ばすことを考えていたが、予定を変更してBCに戻る。
 天候は更に悪くなり、多量の降雪の恐れがあること、縦走隊と交信のとれる場所への必要性等から、ある程度下っておいた方が良いと判断して、急きょ撤収にかかる。
 立派なブロックを積んだ快適な所だったので、名残惜しいが早々に下山した。前々日泊まった中遠見の同じ場所に設営し、縦走隊の行動と合わせるべく待機した。
 日程的にも大分余裕があり、威勢よくラジュースをたくとぬれていた内張りも乾き、内部は快適になると、今まで予定通り消化できなかった行動食を無理矢理処分させられ、うれしい悲鳴を上げる。
 夕方もこれまた久しぶりに豪華なメニューであった。食後の定時交信は混信が激しく、聞き取れない状態で、翌朝再交信することにして閉局し、寝袋に入る。

タイム/BC発(7:15)→五龍小屋(7:25)→五龍岳(8:30)→五龍小屋(9:25)→BC(9:40) BC撤収(12:10)→
    中遠見(13:50)


12月31日
 縦走隊の行動に合わせて待機予定だったが、一応みんな5時に起こす。予定の6時に縦走隊と交信する。早朝のせいか混雑が少なく聞くことが出来た。縦走隊は鹿島槍ヶ岳の吊尾根の雪洞にビバークしたとのこと。「今日中に下山したい」旨、連絡してきた。
 我々サポート隊も、「これから下山し、信濃大町で再会する」ことを約束した。
昨日のうちに大分下っていたので、時間的には全く心配はなく、大みそかの下山は会の長い冬山合宿で初めてであった。
 リフトの部分だけはスキー場を縦断し、テレキャビンを使って一気に下り、昼前に神城に着く。適当な列車に乗って大町に出るが、縦走隊はまだ着いていなかった。
 駅前の食堂で時間をつぶし、縦走隊を待った。
                             盛岡山想会山懐10号より掲載 記:佐藤 雅信

五龍岳 イメージ


縦走隊記録
12月29日(晴れ)
 今日から縦走隊とサポート隊が分かれて行動する。条件が良いのでキレット小屋まで行きたい。
 朝食を早く済ませ、アタック隊のみ出発する。サポート隊には朝食の後片づけ、テントの撤収をお願いする。1班は大谷地、藤原、小田中、2班は岩淵、野川、土門のメンバーで出発する。
 中遠見、大遠見とダラダラしたコースである。トレースがガッチリ付いているためラッセルの必要はない。だが時間がたつにつれてアイゼンにコブが付きはじめる。
 風もなく、気温も高いためヤッケを脱ぎ、まわりを存分に眺めながらゆっくりと登ったが、鹿島槍ヶ岳の北壁、カクネ里がクッキリ見え、印象的だった。
 2班と追いつ抜かれつ進む。白岳の登りが急に角度を増す。夏は白岳の斜面をトラバースするが、冬は雪崩が発生するため白岳への尾根に出るように登る。稜線に出ると風があったが、割合早い時間で白岳を越すことができた。
 五龍小屋に着いた頃には風も強く、天気も悪くなり始めた。行動食を食べながらヤッケ、ミトンを付け、辺りを見回すと、思ったより雪が多くなく、夏道がわりとはっきりしている。夏道に沿って登るが足元は雪がなく、氷が付いている様な感じで、所々に吹き溜まりがあった。
 途中1度の休憩を取り五龍岳の頂上に立った。白岳を見ると我々のサポート隊がテントを張っている。大声でコールを送るが届いていない様子。トランシーバーでの交信を終えて、いよいよ今合宿最大の難所へと向かう。
 下る頃から地吹雪と変わり、下降口を東にとり過ぎて大きな雪ぴに出たため、バックして夏道のルートを探して下る。上部だけ雪が付いており、下の方はまるで夏と同じだった。 
 稜線は全く雪がなく夏道通り進むが、風が強い上にアンザイレンしているのでなかなか思うように進まない。これほどにもザイルが邪魔になるとは思わなかった。だが命綱だと思えば…。
 今日はキレット小屋までは無理のようである。風も大分強くなってきた。2,547mのピーク付近を過ぎる頃からビバークする場所を探しながら歩き、小さな雪面を見つけ、雪を1m近く掘り下げ、やっと2つのツエルトを張ったが、ツエルトの中の食事も狭くて大変だった。その上ラジュースの調子が悪い。
 なんとか食事を済ませ、早々にシュラフに潜り込む。

タイム/幕営地(7:15)→大遠見(8:00)→五龍小屋(10:00)→五龍岳(11:40)→ビバーク地(13:50)


12月30日(雪)
 朝焼けで、朝食も早々に出発する。今日は行ける所まで足を延ばすつもりで小田中をトップに夏道通り進む。途中から吹き溜まりが多くなり、歩きにくくなってきた。トレースもなく、表面がクラスト状になっているため慎重に進み、思ったより時間がかかってキレット小屋に着いた。冬期小屋に入ると2人のパーティがツエルトを張っていた。我々と逆のコースを来たということなので、コースの状況を聞きながら、2班の来るのを待つ。
 ここから核心部となるので一緒に行動するため2班を待った。30分ほど待っていると2班が着き、行動食を共に食べる。
 鉄はしごを登り、ナイフリッジの稜線へ出ると吹雪に変わっていた。八峰キレットはアップザイレンする。ザイルをダブルにし岩淵がトップで下り、ラストの大谷地が下って全員が今回の難所を突破してホッとする。
 岩と吹き溜まりの混じった急斜面を登るが、緊張が幾分和らいだせいか、疲れが出てペースもゆっくりとなった。
 北峰の腹を巻き、吊尾根へ出て、今日の行動はここまでとする。
 吊尾根に雪洞を掘ったが、慣れたもので、大きな雪洞で快適に過ごす。炊事を楽しみながらシュラフを乾かし、昨日ビバークでせまかった分まで大きくなってシュラフに潜り込む。

タイム/ビバーク地(8:00)→キレット小屋(10:40〜11:40)→吊尾根(14:50)


12月31日
 雪洞から出ると地吹雪だが空は晴れている。今日は最終日なのでたらふく食べ、雪洞を後にする。吊尾根では地吹雪だったが、南峰近くで次第に天気が良くなり、頂上へ立った時は快晴だった。剣岳、穂高岳、槍ヶ岳と360度の展望は素晴らしい。
 赤岩尾根からの登山者が大勢登ってくる。
 悪天候の場合、南峰から下降する時、牛首尾根へ下らないように注意しなければならないが、こうも快晴だとその心配はなかった。トレースがしっかりつき、夏道より歩きやすい。楽しみながらゆっくり歩くが、赤岩尾根からの登山者の多いことにはビックリする。
 冷池小屋付近はテントの色で花が咲いているようだ。急な下りを高千穂平へ。ここもやはりテントの村である。ここからは周囲の山、南壁よりも人を眺めながら下る。風もなく暑くなり、急で長かった下りも終わり西俣出合に着き、晴れ上がった鹿島槍ヶ岳にそれぞれの思いをかみ締めながら大谷原へと急ぐ。

タイム/吊尾根発(8:00)→南峰(8:30)→布引山(9:15)→冷池小屋(10:00)→赤岩尾根分岐(10:10)→高千穂平(11:00)
    →西俣出合(12:15〜13:00)→大谷原(13:40)

                            盛岡山想会山懐10号より掲載 記:大谷地 政光
↑ページの先頭に戻る