屏風ノ頭と屏風岩 イメージ
1981年12月29日〜1982年1月4日
パーティ/CL 小田中 智、砂子 勉、清水 薫
今回は初めての冬壁である。今まで積み重ねてきた冬合宿の実績と春合宿、夏壁での実績、メンバーから言っても、今年こそが冬壁を狙う絶好の時期である。
ルート的に屏風岩東稜は冬壁の入門ルートであるが、登った後は北尾根から前穂高岳〜奥穂高岳、そして明神尾根を下るという縦走形式のため、壁も荷を背負って登攀するという意義深いコース設定である。
昨年まで一緒だった外口は退学して所在が分らなくなり、清水は東京転勤になったが、清水と合流して3人のパーティとなる。
今合宿は特別にトレーニング訓練を設けなかったが、各自のレベルは今さら合同トレーニングをする必要はなかった。
11月上旬の偵察山行には砂子と清水に行ってもらったが、前穂高岳頂上付近では猛吹雪の中のツエルトビバークを強いられ、冬山本番さながらの厳しさがあったと言う。
荷を背負っての登攀になるため、食料はすべて乾燥食品、泊まりは半雪洞とツエルトを併用のためテントは持たず、超軽量化に心がけ、1人のザックは10kg後半とした。
12月29日
清水とは新宿で落ち合うことにしているので、砂子といつもの夜行列車「いわて3号」で盛岡を出発する。
12月30日(曇り)
新宿で清水と落ち合う。友人の雲表倶楽部の藤原さんは仲間と屏風のディレッティシマを登るので、基部まで一緒に同行することになり、にぎやかな電車の旅となる。
沢渡から5人でだべりながら上高地へと歩く。今夜の宿泊地も例によって明神のトイレだ。冬は匂いも無く、テントをぬらさないで済むので泊まりはいつもここに決めている。
ここまで来て始めてタクシーにピッケルを忘れてきたことに気がつく。これが後に語り草となった「ピッケル事件」である。
どうしたものかと考えたが、壁自体ではピッケルは必要ないし、藤原さん達は屏風を登ってからパノラマ新道を下るというので、屏風ノ頭で落ち合い、ピッケルを借りることにした。
今回は友人も一緒なので、今晩の分だけアルコールを持参し、軽く飲みながら語り合う。
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穂高岳周辺概念図 |
コース/沢渡〜上高地〜明神
12月31日(曇りのち風雪)
1ルンゼ押し出しで藤原さん達と別れ、T4尾根を登り、T4から屏風の横断バンドをトラバースし、東稜の取付きであるT2に着く。
11時頃、砂子トップで登り出す。セカンドは清水、ラストは小田中のオーダーであるが、3人で1人ずつ登ったのでは、時間がかかり過ぎるため、セカンド、ラストは5mの間隔をあけ同時に登る。トップは同時に2人のビレイをしなければならないので、プルージックを併用しながらビレイを行う。
東稜は6ピッチなので、1〜3ピッチを砂子トップ、4〜6ピッチを清水トップとし、小田中は終始ラストを受け持った。トップの荷は個人装備のみとし、後の2人で荷物を分けて登る。
2ピッチから4ピッチは快適なA1の人口であるが、5ピッチ目から暗くなり始め、人口から左上カンテのフリーが悪かった。
夏は6ピッチであるが、凍った草付状もザイルを使用し、7ピッチで19時過ぎに登攀を終了する。今日の行動時間は13時間を超えていた。
急な雪の斜面を少し登り、ちょっとした平坦地を見つけ整地する。木に寄りかけていたザックを清水がけ飛ばし、ザックはゴロゴロと東壁ルンゼ側に転がり、見えなくなった。
寝袋無しでは今晩は寒いだろうとあ然としていると、清水はザイルに確保されながら下って行き、運良く最後のブッシュに引っかかっていたザックを回収した。
紛失したのは共同のトイレットペーパーだけだったが、これが後の「トイレットペーパー事件」となった。
21時頃ようやくツエルトに入り暖をとる。狭いツエルトに身を寄せ合いながら眠りにつく。 |
屏風岩東稜ルート図 |
屏風岩東壁 イメージ
コース/明神〜横尾〜1ルンゼ押し出し〜T4尾根〜T2〜東稜〜終了点の上
1月1日(曇り)
昨夜は遅かったのでゆっくりと起き、藤原さんパーティを待つが会うことが出来ず、昼頃出発する。彼らからピッケルを借りるつもりだったが、それができなくなった。
困りながら考えていると、ジュラルミンの小型スッコップがあることに気が付き、持ってみると十分ピッケルの代用となった。これより「ピッケル事件」が始まる。
ザックの落下で紛失したトイレットペーパーはキジ撃ちに支障をきたし、これより「トイレット事件」が始まる。
朝のキジ撃ちでは、砂子はぬれた軍手を使用、清水はハンカチを使用、小田中はガマンと、それぞれウンを処理した。明日からはどうするのだろうか?
夕方8峰に着く。小雪ぴを利用して半雪洞を掘りツエルトを張る。
北尾根 イメージ
コース/東稜終了点の上〜屏風ノ頭〜北尾根〜8峰
1月2日(曇りのち風雪)
今日は北尾根の雪稜と岩稜になるため、ジュラスコップを落とさないようにひもを付け、肩バンド風にする。スコップの先は凍った岩稜も捕らえてくれるので、バランスを保つためのピッケル代わりとしては十分である。
3峰でザイルを結び、9mmシングルザイル1本で奥又白側から回り込みながら登る。
前穂高岳頂上では、風はあるが視界も悪くないので奥穂高岳へと吊尾根を行く。涸沢側に張り出した雪ぴに注意し、膝までのラッセルをしながら奥穂高岳の頂上を目指す。
奥穂高岳から前穂高岳に戻り明神岳の主稜線を下る。1峰付近で見慣れた顔に出くわす。小泉先輩に連れられた新人組達だった。計画では、前穂高岳でランデブーし、下りは一緒に帰る予定であった。
小泉パーティと別れ、2峰を奥又白側から巻くように回り込み、下って行くと尾根の森林限界付近に新人組のテントがあった。一緒に泊まろうと誘われていたが、ここまで来ると下でおいしい酒が飲みたくなり、木村小屋を目指して下る。
私の即席のピッケル姿を「人に見られると恥ずかしい」と言って、「下りはまかせて」という2人はドンドン先へ下って行った。
木村小屋に宿泊をお願いし、風呂に入り乾杯する。
奥穂高岳 イメージ
コース/8峰〜3峰〜前穂高岳〜奥穂高岳〜前穂高岳〜明神岳主稜〜上高地木村小屋
1月3日(曇り)
例年のごとく2日酔いで沢渡へ下る。松本でタクシー会社に行き、忘れたピッケルを受け取る。
コース/木村小屋〜沢渡
合宿を終えて
ピッケルを忘れるというアクシデントがあったが、持っているものを代用して支障なく行動できたことは、次への一つの自信にもつながった。しょせんピッケルは、体のバランスを保つための一つの道具である。
初めての冬壁であったが、気心が知れて信頼できるパートナーと一緒だったので、無駄の少ないスピーディな行動ができた。冬壁を3人で登るのには時間がかかったが、冬壁でのセカンドの登り方を考えていく必要があることを感じた。
荷物を軽くするため、は全て乾燥食品を使用した。装備面では、テントを持たず半雪洞を利用するためツエルトにし、ガソリンも少なめにした。1人のザックの重量は10kg後半だったので登攀用具を身につけると、荷物は軽く冬壁は3人がベストであり、2人だと荷物の吊り上げになるだろう。
盛岡山想会山懐10号より掲載 記:小田中 智 |