甲斐駒ケ岳 赤石沢奥壁Aフランケ赤蜘蛛ルート

赤石沢奥壁全容 イメージ

1982年7月29日〜8月2日
 パーティ/鈴木 孝(仙台RCC)、山中 喜弘(仙台RCC)、小田中 智

 南アルプスの北端に位置する甲斐駒ヶ岳には、赤石沢奥壁、魔利支天、坊主岩の3大岩壁がある。
 岩壁は広大な花崗岩帯で、登攀距離は長く、技術的にも困難なルートが多い。
 赤石沢奥壁はAフランケ、Bフランケ、奥壁の三つの岩壁で構成され、中でもAフランケは岩が硬く、ブッシュも少なく、スッキリした壁である。
 清水薫、砂子勉は転勤で東京へ行ってしまったため、パートナーがいなく、仙台RCCの友人とパーティを組むことにした。
 盛岡山想会では、この山域の壁に入るのは初めてであり、会の新人の一般コース組と後半に合流することにし、スッキリした花崗岩の壁といわれる赤石沢奥壁を2本登る計画を立てた。
 仙台RCCのメンバーとは藤原さんを通じて知り合い、明星の壁に一緒に行っているが、あいにくの雨のため登ることはできず、ザイルを結んだことはなかったが、酒を飲み、山を語った友人である。

7月29日

 盛岡から急行列車で仙台に行き、仲間と合流して車で甲斐駒ヶ岳に向かう。運転は2時間交替とするが、私は運転免許証がないので、助手席で終始ナビゲートを努め、夜通し走る。

7月30日(雨)
 アプローチは黒戸尾根で、竹宇駒ヶ岳神社まで車で入る。
 朝から小雨が降っており、カッパを着て登り始める。樹林帯の急登をしばらく行くと、笹ノ平から尾根筋となる。雨は次第に強くなり、稜線では風も強くなり寒い。
 7合目の小屋まで行く予定だったが、更に雨が強くなったので5合目の小屋に素泊まりし、衣類を乾かす。

甲斐駒ヶ岳概念図

コース/竹宇駒ヶ岳神社〜笹ノ平〜刃渡り〜5合目小屋


7月31日(小雨のち曇り)
 朝、まだ小雨が降っているので様子を見、出発を見合わせる。この様子では、今日は壁を登れないのでゆっくり出発する。
 小屋を出て歩き始めると、東京に転勤した清水に出会う。「雲表倶楽部に入会し、仲間と奥壁を登りに来たが、昨日の雨で登ることができず、下山して来た」とのことだった。
 不動岩のはしごや鎖場を登り、昼過ぎに7合目の小屋に着く、明日のために取付きまでのルートを確認するため、偵察に行く。
 少し稜線を登ってから左の沢状を下ってしばらく行くと踏み跡があり、フィックスロープを使いながら急な樹林帯を下り、右にトラバースしてAバンドに出て、取付きを確認して小屋に戻る。 
 私は、明日登ってから、すぐ下山しなければならないので、最後の夜を飲みながら山を語る。

コース/5合目小屋〜7合目小屋〜取付き偵察〜7合目小屋


8月1日(晴)
 薄暗いうちに小屋を出る。昨日取付きを偵察していたのでスムーズに取付きに行けた。
 Aフランケ赤蜘蛛ルートは、Aフランケの中でも最も大きな恐竜カンテを登り、下部は左のコーナーから、上部はスッパリ切れ落ちた垂直に走るクラックを登るルートである。
 岩の弱点をつきながら、フリーと人工でクラックを登る真っ直ぐなラインで、日本離れした素晴らしいロケーションだ。
 パーティは3人なので、3ピッチずつトップを交替しながら登ることにし、鈴木さんがトップで登り出す。岩はツルツルに磨かれた花崗岩で硬い。
 人工でハングを越え、ジェードルのクラックが真っ直ぐ上へと延びた所を3ピッチ伸ばし、V字ハングを人工で越えると大テラスに着く。右は恐竜カンテで、すっきりとしたカンテラインが上へと真っ直ぐ伸びている。
 花崗岩には石英が混じり、磨かれたように光っており、こんな岩質を登るのは始めてである。
 7ピッチから小田中がトップとなる。急傾斜のクラック混じりのフェースが真っ直ぐボルトラインとなって伸びており、A1の人工で快適に登る。
 上部から右にカンテを越えて、更にボルトラダーを登り、スラブ状フェースを登ると9ピツチで終了した。
 ルートはブッシュがほとんどなく、風化していない花崗岩の岩質と、スッキリしたラインは素晴らしいクライミングを味あわせてくれた。
 Aフランケの頭から踏み跡をたどり、8合目の稜線に出て山想会の新人パーティと合流し、少しの間話をする。
Aフランケ赤蜘蛛ルート図
 私はこれから下山しなければならなかったので、みんなと別れ1人で下る。
 7合目の小屋で荷物を整理し、黒戸尾根を下山。笹ノ平から横手に下り、バスで韮崎に出て電車に乗る。


Aフランケ イメージ


赤蜘蛛ルート中間部 イメージ


赤蜘蛛ルート上部 イメージ

コース/7合目小屋〜Aフランケ赤蜘蛛ルート〜8合目〜笹ノ平〜横手

                            盛岡山想会山懐10号より掲載 記:小田中  智
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