槍ヶ岳 北鎌尾根(盛岡山想会冬山合宿)

北鎌尾根 イメージ

1980年12月28日〜1981年1月5日
 パーティ/CL 小田中 智、砂子 勉、清水 薫、外口 順一

 昨年の冬山合宿の反省会で、この合宿を計画してから1年、春、夏、秋の県外山行では岩登り中心の山行をしており、パーティとして北鎌尾根を自信を持って登れる気力を持っていた。
 トレーニング真っ最中の秋には私の結婚式があり、トレーニング山行や偵察山行に参加できなかったが、3年会員の砂子を中心に、楽勝で登るためのトレーニングは続けられた。
 偵察山行の報告によると、「11月の初旬の割には雪が多く、行動距離も長いため、体力勝負である」と報告を受け、北鎌尾根の難所をチェックする。
 今回は縦走形式でコースも長いので、装備・食料とも軽量化を図り、一人の重量は20kg以内とした。

12月28日
 先輩や仲間から見送りを受け、いつもの夜行列車「いわて3号」で盛岡を出発する。
頂いた飲食物は山へは持って行けないので、列車の中でそれぞれの胃袋におさまってしまった。

12月29日(曇り時々晴れ)
 信濃大町からタクシーで高瀬ダムへ向かう。昨年の北尾根合宿では、あんなに雪が少なかったが、ダムのゲートでは雪が多くびっくりする。
 高瀬ずい道を抜けると先行パーティのトレースは無く、膝上までのラッセルから次第にももまでのラッセルとなった。
 やがて後続パーティが見えたが、なかなか近くに寄ってこない。数パーティとラッセルを交代していると後続のパーティが結構来たので、皆で交代しながら早く先に進むために強制的にラッセルを強要したが、一度軽くラッセルして後に下がると二度とは前に出て来なかった。
 雪は更に深くなり、荷を背負ってのラッセルでは前に進まなく効率が悪いので、先頭が空身となりラッセルし、交代と同時に荷物まで戻り追いつくラッセル方法とする。
 湯俣のずっと手前の名無沢手前あたりで夕闇が迫ってきたので、小高い所にテントを張る。通常であれば湯俣にはその日のうちに入れるのだが、今年は雪が多い上にトレースも無かったので、ここまでしか入れなかった。

コース/七倉〜名無沢手前


12月30日(曇り)
 明るくなり始めた頃、近くで笛の音が聞こえ、騒がしいので外に出て見ると、数張りのテントが小雪崩に埋まり掘り出しているところだった。
 100mほど離れた対岸は左側が急な斜面になっており、その下は高瀬川の河原になっている。我々は少し小高い場所に設営していたので問題はなかった。
 小さい雪崩でテントが少し流されたくらいなので、そのまま我々は湯俣へと出発する。
 今日も先頭を切ってまたまで潜るラッセルをする。夕方やっと湯俣に着いた。結局ここまでラッセルしてきたのは最終的に2パーティだけだった。
 千天出合いへ行く徒渉点を探すため、外口に付近を調べさせていたら、足を踏み外して高瀬川に落ちてしまった。幸い水量は少なかったが、全身ずぶぬれになって上がってきた。
 ここまで一緒にラッセルをしてきた本田技研パーティは、「もう少し先へ進む」というので、明日の朝に追いつくことを約束して、我々は湯俣に泊まる。
 湯俣の物置小屋に入ることができたので、外口は一晩中たき火をして衣服や靴を乾かした。
槍ヶ岳周辺概念図
コース/名無沢手前〜湯俣


12月31日(曇り)
 先行している本田技研パーティに追い付くべく、まだ暗いうちに出発する。裸足になり浅瀬を徒渉するが、高瀬川の水は冷たい。さぞかし昨日、外口は冷たかったことだろう。
 30分程歩くと本田技研パーティのテントがあり、先行して腰までのラッセルをする。やがて、本田技研パーティも追い付き、一緒に空身となりながら交代でラッセルをするが、千天の出合いは遠い。
 やっと千天の出合いに着いたのは午後になってからだった。出合いから少し天上沢沿いに行き、天上沢を徒渉してP2への尾根に取り付く。
 「この状況下での行程では槍ヶ岳の頂上に立つ見込みは無いので、ここから下山したほうが良いのではないか」と砂子から提言があった。
 「日程的にはまだ先に行ける日数があるし、これから北鎌尾根の主稜線に出れば、雪も風に飛ばされてラッセルも少なくなり、槍ヶ岳を登って下山できる可能性は十分にある。引き返すのは日程的にギリギリまで行ってからでも遅くない」と、リーダーとして判断し、皆にも意思確認をして先に進むことにする。
 尾根は次第に急になってきて、木の根っこをつかみながら登り、暗くなり始める頃、狭い尾根上にテントを張る。

コース/ 湯俣〜千天出合い〜P2尾根〜P2尾根上部

1月1日(晴れ時々曇り)
 1時間ほど歩くとP2に着き、いよいよ北鎌尾根の主稜線となる。積雪は風に飛ばされて少なくなるが、吹きだまりもあり多少のラッセルはあった。
 ピークはP15まであり小ピークが連続し、独標が岩登り要素がある核心部だが、P5、P6も悪場となっている。本田技研パーティとは前後しながら登って行く。
 P5は不安定に雪が付いている斜面を天上沢側からザイルを結びトラバースする。
 独標手前のP9付近でテントを張る。稜線上は風に飛ばされて雪が少なくなり、思ったより先に進むことができた。
 この調子ならば明日は、核心部の独標から槍ヶ岳を越え、肩の小屋まで行けるであろう。これで日程的にギリギリで下山できる目途がたってきた。


北鎌尾根 イメージ

コース/P2尾根上部〜P6〜P9


1月2日(曇り)
 独標は基部から千丈沢側に回り込んで取付く。今まで雪が多かった割には壁にはほとんど雪が付いてなく、岩が露出している。千丈沢からの吹き上げが強いことが伺われる。
 外口がトップに立って空身で1ピッチ登り、後続はザックを背負って登る。砂子、清水の順で登り、外口のザックを吊り上げて小田中がラストで登る。2ピッチで稜線に出る。
 稜線上はザイルを使用せず、自己責任において慎重に外口、砂子、清水、小田中のオーダーで登る。外口は体力、バランス共優れているので、ほとんどは外口に先頭を任せた。昨年は新人だった2人も、今では信頼できるパートナーに育っていた。
 P15を過ぎると、ぼんやり槍ヶ岳の全容が見えてきた。槍への登りは雪壁から右に回り込むようにして岩稜を登ると、夕方、槍ヶ岳の頂上に着いた。
 ガッチリ握手を交わし、ここまでの道のりを振り返るが、ガスが上ってきて我々が登って来たコースは残念ながら見えなかった。
 肩への下りの岩溝には氷が詰まっており、慎重に一歩いっぽ下る。
 槍の肩の冬季小屋に入りテントを張る。本田技研パーティと握手を交わし、今までの深いラッセルを2パーティのみでやり遂げたことをねぎらい合う。


槍ヶ岳 イメージ

コース/P9〜独標〜槍ヶ岳〜肩の小屋


1月3日(吹雪)
 まだ夜が明けない真っ暗な吹雪の中、本田技研パーティは槍沢を下ると言って出て行った。しばらくすると吹雪で前が見えないと言って戻って来たが、明るくなるのを待って再び出て行った。
 我々の行動予定は、中岳から横尾尾根を下って横尾までの予定である。小屋を出ると強風で視界も悪いが、停滞している日数が無いので中岳目指して下る。
 中岳の下りは平坦な部分で方向を見失い、気がついた時にはさっき通った所に戻っていた。地図を見ると、下りで中沢側に下ってしまい、幸運にもクルリと小さい円でリングワンデリングし、ピッタリ同じ場所に戻ったのだった。
 コンパスと地図で方向を確認して少し下ると南岳のあん部に着き、横尾尾根へと下る。今までは主稜線上で雪は風に飛ばされて無かったが、ここからは腰まで潜った。
 尾根の下りは危険な個所は無く、「登りは自信がないが、下りは任せて」と言う2名はガンガン下って行った。クタクタになり横尾に着いた頃は夕方になっていた。
  「酒が飲みたいので、上高地の木村小屋まで行こう」と言う2名がおり、酒に釣られて上高地を目指す。
 徳沢園には本田技研パーティがおり「今日は、一緒にここに泊まろう」と勧めてくれたが、アルコールを持参してないので断り、明日信濃大町で祝杯をあげることを約束し別れる。
 体はヘトヘト、酒だけが頭の中にチラつき、19時過ぎ、やっとの思いで木村小屋にたどり着いた。今日の行動時間は13時間を超えていた。
 食事付きの宿泊をお願いし、風呂に入り乾杯する。


肩から見る槍ヶ岳 イメージ

コース/肩の小屋〜中岳〜横尾尾根〜横尾〜上高地木村小屋


1月4日(曇り)
 しっかりとトレースされた舗装道路にもかかわらず、2日酔いで頭が痛く、よろめいて道を踏み外しながらもゆっくりと沢渡を目指す。
 新宿への夜行列車までの長い時間、今までの粗食に耐え切れず豪勢な食事をし、大衆酒場に行くと本田技研のパーティと再会した。今までの労をねぎらい合いながら飲み、語り合った。

コース/木村小屋〜沢渡


合宿を終えて
 下界に戻ると、大雪のため遭難が相次いで起きており、何10年に一度の豪雪だったことを知った。
 今回、目的の山頂に立ったパーティはどの位いたのだろうか?。一般的な登山者は他人のラッセルをあてにして入山しているパーティがほとんである。
 今回の合宿を振り返ってみると、メンバー全員の体力が強かったため、豪雪にも対応でき、北鎌尾根の厳しい岩稜もスピーディに楽勝で抜けられた。結局、最終的に山は「体力勝負」なのだ。  
 山では「体力があって始めて技術を生かせる」と、いつも言っている小泉先輩の言うとおりである。
 もうこのメンバーは、体力、アイゼン技術とも問題は無いが、これからはいかに厳しい山行をしていくかである。来年は冬壁を目指したい。

                             盛岡山想会山懐10号より掲載 記:小田中 智
↑ページの先頭に戻る