北穂滝谷・前穂東壁・屏風岩(盛岡山想会夏山合宿)

前穂北尾根 イメージ

1978年7月29日〜8月7日
 パーティ/L 小田中 智、阿部 信司

 日本の三大岩場の一つでもある穂高岳の岩場。それは私にとって、2年前までは「あこがれの壁」でしかなかった。
 しかし、昨年の谷川岳一ノ倉沢をきっかけとして、岩登りに魅力を感じ、先輩にいろいろと細かく指導を受け、岩登りの回数をこなすことによって、次第に身近なものに変わってきた。
 ただ、残念なことにパートナーがいないため、やる気のある新人会員を中心に、6月から穂高の壁を目指してトレーニングを始めた。
 その時は、「行きたい」という者が2〜3人いたが、仕事を終えてからの川目での岩登り訓練。それから、体力を養うための日常の合同トレーニングと、回数を重ねるごとに何らかの理由で脱落者が出るようになってきた。
 最終的には阿部一人が残り、本格的な実戦訓練のため猿岩へ通った。
 阿部は岩登りの経験が浅く、また、訓練時間も不足気味だったので、残念ながらトップを任せるまでにもってゆけなかった。
 トップは自分1人で充分だし、セカンドとしてその役目を果たしてくれれば、パーティを組めるので、狙うルートさえ間違わなければ登れる確信があった。
 ルートはフリー登攀を中心に、レベル的にも4級程度のルートを計画した。行動計画は、次のとおりである。
 ・7月29日 盛岡を出発
 ・7月30日 涸沢にベースを置く
 ・7月31日 滝谷ダイヤモンドフェース清水山岳会ルートからドーム西壁雲表ルート
 ・8月1日 滝谷第2尾根P2フランケジェードルルートからC沢右俣奥壁
 ・8月2日 前穂高岳4峰正面壁北条・新村ルートから前穂高岳東壁CBAフェース?奥穂
 ・8月3日 屏風岩雲稜ルート
 そして、2日間の予備日をとり、6日に下山するという計画を立てた。
 会にとっては県外の岩登りの夏合宿は始めてで、屏風岩はまだ足を踏み入れた先輩はいなかった。
 装備については特記することはないが、登攀面での安全とザイルの流れを考慮して9mmザイルでのドッペル登攀とした。
 食料は、涸沢をベースとしたことから軽量化はあまり考えず、お金のかからないように日常の食料とした。

7月29日(晴れ)
 先輩からの差し入れやアドバイスを受け、「はつかり10号」は、ゆっくりホームを離れた。
 新宿駅のホームは、大勢の登山者でごった返し、ヘビのような長い列ができており、予定の列車には乗れそうにもなかったので、一汽車遅らせることにした。
 そのおかげで、ゆっくりと座れ、松本までグッスリ眠ることができた。

7月30日(晴れ) 
 松本からタクシーを飛ばし上高地へ向かう。単調な横尾までの道のりは、重いザックがよけい重く感じられた。
 横尾の岩小屋を過ぎると、次第に切り立った屏風岩が見えてきた。先ほど知り合いになった雲表倶楽部の人に、いろいろルートを教えてもらい、「今回は、この壁も登るんだ」と思うと、壁の迫力に押され不安がこみ上げてくる。
 涸沢は、学生達が夏休みに入りテント村ができていた。きれいに整地されているテントサイトにお金を支払い、適当な場所を見つけて幕営する。
 明日の朝は早いので8時にはシュラフに入るが、明日の登攀の不安と期待、そして、周りのテントが騒がしく、なかなか寝付かれなかった。

タイム/上高地(8:00)→横尾(11:30)→涸沢(15:00)


7月31日(快晴)
 3時に目覚まし時計が鳴り、起床の時間を告げていた。まだ暗い外は無数の星が寒々と輝いており、ヘッドランプをつけ、眠い眼をこすりながら出発する。
 北穂への南稜を登って行くと、やがて西の空が明るくなり、時間と共に真っ赤な太陽が顔を出す。
 北穂からキレット側へ10分も下るとB沢の窓があり、ヘルメットを着用してB沢へと入る。この沢は浮き石が多く、一歩ごとに石が崩れ、不気味である。
 B沢を下まで下りC沢を登り返すが、途中の枝沢をC沢右股と思いこみ、2度も間違い、大分時間をロスし、ようやくダイヤモンドフェース取付きにたどり着いのは10時も間近であった。
 いよいよ登攀開始。右上に続くチムニーを難なく登ると、左方に黒く光るような垂壁のフェースが見え、ダイヤモンドフェースとはうまく名付けたものだと感心する。
 小田中トップで登り出す。1ピッチと2ピッチ目はチムニー状で、岩も硬く快適に登って行く。
 3ピッチ目は左方に延びるバンド状をたどるのだが、出だしがが難しく、乗っ越すのに苦労した。(後で解ったことだが、そこは崩壊したため、ルートが変わり難しくなっていた)
 確保ハーケンがあまく、不安定な状態で阿部を確保する。今まで順調に登っていた阿部が、ハング気味の所スリップしたため止めるが、グリップビレイが滑り、さらに数メートル落としてしまう。
 そこから阿部は、アブミを使用して登っていたが、今度はハーケンが抜けて再びスリップしてしまった。
 この壁は、阿部をきらっているようである。4ピッチ目を難なく越えると終了し、中央稜の草付きテラスに着いた。
「西壁の雲表ルートは」と探すが、ガスっている中ではなかなか見つからず、ここぞと思われた所から登り出す。2ピッチのチムニーが続き、今まで腕力登攀で時間を稼いでいたせいか、けいれんが右手を襲ったため、腕力に行く下くと中央稜に出た。
 ここでルートを間違えたことに気がつくが、そのまま中央稜をたどる。改めて壁の大きさ、山の大きさを知らされた。
 快適な岩稜を4ピッチ登ると、登攀は終了した。
 ドームの頭で登攀用具を整理し、今まで休まなかった分ゆっくりと休み、登った充実感を充分味わう。
 南稜の下りは、B沢の下降の際に石にぶっつけた膝が痛み、ゆっくり下ったが、今日は15時間以上も歩きっぱなしだったため、ベースに帰る頃にはフラフラだった。
ダイヤモンドフェースからドーム中央稜ルート図


滝谷全容 イメージ

タイム/BC(3:15)→北穂高岳(5:20)→C沢出合(7:00)→ダイヤモンドフェース清水山岳会ルート取付(10:00〜
    10:20)→央央稜取付(13:00〜13:45)→ドームの頭(16:45〜17:15)→BC(19:00)


8月1日(晴れのち曇り)
1ピッチ
 小田中トップで、初めのハング気味のフェースは大まかだが、がっちりとしたホールド、スタンスを拾い、強引に乗っ越す。
2ピッチ
 ジェードルが上へと続いており、ハングの乗っ越しの出口に乗っかかっているホールドが浮き石だったが、だましだまし乗り越す。 
3ピッチ
 正面の垂壁を避けて左から回り込み、簡単に終わる。
4ピッチ
 傾斜の強いジェードルを、難しいフリーから人工で越えると、第2尾根の肩に出て登攀が終了した。ガスにかすむ第2尾根の踏み跡をたどると、C沢の上部に出た。
 計画では、C沢右股奥壁も登る予定ではあったが、時間的にロスがあったため遅くなってしまった。
 松濤岩を通り、通い慣れた南稜を下ったが、今日の登攀は部分的に難しい所があり、短い割には楽しく充実した登攀だった。
 昨日の疲れが残り、ゆっくりとした出発となってしまった。南稜を登り、B沢を10分ほど下った所から左にトラバースし、クラック尾根を回り込み、P2フランケに達した。
P2フランケジェードルルート図

 クラック尾根には多数のパーティが取付いていて、かなり順番待ちをしているようだ。フランケ取付きからジェードルルート中間部に懸垂下降して行くが、下降途中、下から登ってきたパーティに石が落ちてヒヤッとしたので、そのパーティが登ってくるまで待ってから下降する。
 でき出来なかったので、中間部から取付いたが、彼等から状況を聞くと、「草付きで浮き石が多く、大分悪かった」と言っていた。このパーティに、ぴったりとくっつくようにして登り始める。
 昼ごろから雲行きが怪しくなったが、やがて下からガスが湧き上がり、余計に滝谷の険悪さが感じられた。

タイム/BC(6:00)→P2ジェードル取付(11:30)→第2尾根の肩(14:40)→BC(17:05)


8月2日(曇りのち雨)
 「先日B沢でぶっつけた膝が痛み出し」というよりも、精神的、肉体的な弱さから停滞と決め、休養日とした。寝るだけ寝ると、それも飽き、かえって暇を持て余すようになっていた。夕方になると雨が降り出してきた。「台風が近づいている」とのことで、本州に上陸しないように祈りつつ、シュラフに入る。

8月3日(雨)
 残念ながら期待が裏切られ、雨は降り続いた。どうやら今度は本当に停滞となってしまい、暇をどのようにしてつぶすかが問題だ。考えられることは昨日全部やってしまったのだった。
 さすが2日も遊んでいると無性に壁が登りたくなり、目の前にある山をベンチレーターからのぞくが、ガスで何も見えない。 
 夕方、天気図を作成すると、明日はどうやら回復しそうである。もう、停滞なんかイヤだ。明日の好天を祈り、眠る。

8月4日(曇りのち晴れ)
 朝、目を覚ますとすぐ外の様子を見るが、あいにく今日も小雨が降っている。天気図では回復するはずだったので、一眠りして様子を見ることにする。
 やがて、雨が止み、視界を遮っているガスも上がってきたので、前穂北尾根に向かって出発し、5・6のコルの雪渓を登った。
 3・4のコルからC沢へ下るためには、ピッケルが無いので、5・6のコルから5峰を巻くようにしてC沢に入った。
 C沢にはビッシリ雪が詰まっていたが、すっかり天気が回復した好天の中で、この雪渓を登るのは暑すぎた。
 やがて前穂高岳東壁と4峰の壁に阻まれ、沢は狭くなり、そこから右のリッジへと登って行った。T1よりアンザイレンし、3ピッチを楽に登って行くとハイマツテラスである。
 これより青空ハング帯の中央部を登るのだが、モタモタした先行パーティが取付いており、だいぶ待たされる。
 第1ハングは、腕力に任せてA0で登る。第2ハングは、アブミを使用し乗っ越す。この後は、快適なカンテからフェースを登り、ハイマツテラスより3ピッチで登攀を終了した。
 ガラ場をたどり4峰の頭に出て、3・4のコルへ下りて一休みする。時間的に東壁は登れそうもなかったので、前穂高岳から奥穂高岳を経由して涸沢に下ることにする。
 ノーザイルで北尾根3峰を登り、吊り尾根を駆け足で奥穂高岳へ登り、穂高岳山荘のテーブルで一休みする。
 この小屋では、「空気の缶詰」を今年から発売しており、記念に買ったが、ラベルを缶に張り、シールでふたをすればできあがりという簡単なものだが、お土産としてのアイデアが面白い。「3,000mの穂高岳の空気のお土産」ということだが、空缶1個をヘリで降ろすのに20円かかると言うので、「ラベルを20円で作り、200円で売って、下界まで持ち帰ってもらえば、200円のもうけ」という訳だ。一石数鳥ということである。
北尾根4峰正面壁 北条・新村ルート図


4峰正面壁全容 イメージ

タイム/BC(7:50)→5・6のコル(8:35)→4峰正面壁取付(10:50)→登攀終了(13:40)→前穂高岳(15:30)→
    奥穂高岳(16:25)→BC(18:00)


8月5日(快晴) 
 合宿最後の日、今回の合宿のクライマックスとも言える屏風岩の登攀である。
 今回登る雲稜ルートは、東壁の中での初登ルートで屏風岩を代表する人気ルートである。
 ベースを早めに出発し、横尾に下りるように下り、途中から右の樹林帯に入って屏風の取付きに出る。樹林帯の中の小さいかれ沢を詰めると、やがて大きなスラブにぶつかった。左に回り込むようにして行くと、T4に着いた。
 1ルンゼ押し出しからはパーティがどんどん登ってくるので、トップをとるため下部の岩をノーザイルで途中まで登り、登攀の準備に取りかかる。
 先行パーティと競争し合うようにして登って行くと、T4尾根は終わり、やがて取付きである。
 T3をT4と勘違いして登りだすと、途中のハングで他のパーティがモタモタして動かないので、仕方なくアブミにぶら下がって待機する。1時間も待っただろうか、暇に任せてルート図を見ているうちに、ルートを間違えたことに気がつき下降したが、ここは東壁ルンゼルートで5級ルートであった。
 正規の雲稜ルートの取付きに戻り、ロスした時間を取り戻すため、人工をA0でドンドン登って行く。
 3ピッチ目のピナクルを越え、左上すると扇岩テラスに着いた。ここは、またの名をションベンテラスともいい
ぷんぷんクサイ臭いが立ちこめていた。
 先行パーティが2組いたためしばらく待たされる。この壁は、直射日光をまともに受けるため、かなりの暑さである。2時間近くも待たされているうちに太陽が西に傾き、屏風岩の影になったので、大分涼しくなった。
ようやく我々の順番が来て、地についたような重い腰を上げる。
 このピッチは人工だが、このボルトのひどいことといったら恐怖である。自家製のボルトに、リング代わりに針金や靴ひもがぶら下がっているのである。切れて落ちては大変とばかりに、恐るおそる慎重に体重を移し、恐怖のボルト地帯を終わった。
 5ピッチ目は、垂壁にある岩棚のトラバースである。頭を押さえつけられるため、はいつくばるようにして不安定な、嫌らしいトラバースを終えた。高度感は抜群で、下の樹林帯までもが傾斜があるような錯覚にとらわれる。
 ルンゼにフリクションを利かせながら登っていると、上のパーティからバラバラと沢山の石を落とされ、セコンドの阿部は肝を冷やしながらザイルをたぐり、急いで登ってきた。非常にもろいルンゼを登ると、登攀は終了した。
 ここから屏風の頭まではハイマツ帯につけられた踏み跡をたどるが、緊張感が解けたせいか、どっと疲れが押し寄せ、ヨレヨレで、屏風のコルから涸沢まで随分遠く感じられた。
 ようやく涸沢に着き、生ビールで乾杯すると、五臓六腑に染み渡るようだった。
屏風岩雲稜ルート図


屏風岩東壁全容 イメージ

タイム/ベース(4:00)→T4尾根取付(6:00)→T3取付(7:10)→T4取付(9:45)→扇岩テラス(11:05〜12:30)→
    登攀終了(15:35)→屏風ノ頭(16:40)→BC(17:30)


8月6日(快晴)
 名残惜しい涸沢とも今限りでお別れである。のんびりと撤収し、振り返りながら下山の途につく。途中、雲表倶楽部のパーティと一緒になり、上高地までの単調な道も退屈せずにワイワイ話しながら歩いた。
 明日の朝から楽しい?仕事が待っているため、上野発の夜行列車の人となった。

反 省
 継続登攀を計画したが、大分ルートを間違ったり、時間待ちがあったりと思うように登れなかった。時間待ちはどうしようもないが、ルートの間違いは私のミスである。
 今回初めての穂高の岩場で、山が大きいのと壁が大きいのとで、岩手の感覚とは余りにも違いすぎたので、場慣れが必要だと感じた。
 ドームに取付くのに、B沢を下まで下りC沢を登り返して取付いたが、C沢を下るのが正解で、事前研究不足だった。
 パートナーの阿部は、岩を始めてから3ヶ月も経っていないのに、ここまでやれたということは立派である。本人さえやる気があり、強い意志と根性があれば、2ヶ月も訓練すれば、この程度の壁は、新人でも登れるということが実証された。
 ただ残念だったことは、夏山合宿と称しながら、2人だけだったことである。
 来年は1人でも多く参加してもらい、より以上に楽しい夏山合宿としたいと思う。この経験を活かし、更に高いステップへと躍進して登攀を楽しみたいと思う。            

                            盛岡山想会山懐10号より掲載 記:小田中  智
↑ページの先頭に戻る