前穂北尾根 イメージ
1980年4月28日〜5月5日
パーティ/CL 小田中 智、砂子 勉、千葉 健吉、佐藤 博、渡邉 正一(途中参加)
昨年は新人が入ったので、新人訓練を兼ねて前穂北尾根と、力をつけた2年会員との屏風岩雲稜ルートの登攀を計画した。
北尾根は砂子共々数回登っており、新人のサポートも万全で、屏風岩を登っている時には渡辺を中心に北穂から奥穂への別行動とした。
屏風岩の雲稜ルートは、2年前の夏に登っているので、ルート的には問題なかった。
4月28日
いつもの夜行列車「いわて3号」で盛岡を出発する。
4月29日(曇り)
新宿から中央線に乗り換え松本駅で下車。タクシーに乗ると、今年は残雪が多く除雪が間に合わないため沢渡までしか入らず、開通予定は5月1日からだという。通年であれば上高地までタクシーが入ったのだが、余計なアルバイトが増えてしまった。
コース/沢渡〜上高地〜明神
4月30日(晴れ)
今回の合宿は、ベースキャンプ方式のため軽量化せず、生物も持参してきているので荷物は重く、横尾までの単調な道のりは余計にザックが重く感じられる。
横尾から涸沢へ向かって間もなく、屏風の岩壁が見え、登るルートを目で追った。
夕方、色とりどりのテントが張られた涸沢に着く。生物を雪に生め、エスパーステントを張り、まずはビールで乾杯する。
コース/明神〜横尾〜涸沢 |
奥穂高岳概念図 |
5月1日(晴れ)
まだ朝日が浴びない涸沢の上空は青黒く、ずいぶん冷え込んでいた。雪面は硬くなっているのでアイゼンを履き5・6のコルへ向かう。
北尾根の稜線に出ると、雲は一つも無く、朝日が当たりまぶしい。佐藤はサングラスを忘れたことに気がついたが、時すでに遅しである。
「目を細くして歩け」と言い、雪の付いた北尾根の岩稜を踏みしめながら砂子、千葉、佐藤、小田中のオーダーで歩く。
3峰の登りは砂子がトップに立ち、た9mmシングルで登り、プルージックを遊動リングにして後続が登る。
前穂の頂上は風も無く、360度のパノラマをゆっくり楽しむ。吊り尾根を奥穂へと向かい、ザイテングラートを下る頃には、佐藤の目はすっかり雪目になり涙目になっていた。
うす暗くなる頃、渡邉が登って来た。
北尾根2峯への登り イメージ
奥穂への吊尾根 イメージ
コース/涸沢〜5・6のコル〜北尾根〜3峰〜前穂高岳〜奥穂高岳〜涸沢
5月2日(曇り)
明るくなる頃、砂子と2人で屏風岩に向けテントを出る。横尾に下る途中から右の樹林帯に入り、屏風岩基部へ向かう。
T4尾根を回りこんで雲稜ルート取付きのT4に着く。小田中トップで登り出し、つるべ式で登る。
ベルグラの張り付いたフェースを2ピッチ登るとバンドに出て、右にトラバースすると扇岩テラスに着いた。雲稜ルートは前の夏に登っていたが、ルートを間違っていることに気がつき、蒼稜ルートを登っていた。
ここからが雲稜ルートの核心部である。ルートは垂壁のフェースを人工で登るのだが、ボルトのリングが切れ落ち、針金や靴ひもがぶら下がっている。細引きならまだしも、いつ切れるかわからない靴ひもが数箇所続く。
靴ひもにアブミをかけそっと体重移動するが、確実なプロテクションは遠いので余計に緊張感が増す。このピッチは前に私がトップをしているので、当然砂子がトップである。
次のピッチは小田中トップで、ハング下の前傾壁を人工からフリーで右にトラバースするが、難しい部分だ。
東壁ルンゼに入るとそこは雪崩の通路で、細かい氷塊がバラバラと落ちてくる。夏は落石が多いルンゼである。すばやく3ピッチ登り登攀を終了する。
雪の斜面を屏風ノ頭まで登り、稜線を下るとパノラマ新道の分岐に出る。分岐から涸沢への夏道を下りベースキャンプに着く。
別パーティは、北穂東綾を登り、奥穂高岳を登って来たと言う。
昨日、北尾根で雪目になった佐藤は、目が痛くて北穂へは行かず休養した。
この時期の合宿は、雪があるので食料に生物を持参でき、重い荷物をベースに担ぎ上げ |
屏風岩雲稜ルート図 |
たため、酒も食事も楽しみである。ウイスキーで乾杯する。
屏風岩全容 イメージ
コース/涸沢〜T4〜蒼稜ルート〜扇岩テラス〜雲稜ルート〜屏風ノ頭〜涸沢
5月3日(晴れ)
今日は下山日なのでゆっく起き、テントを撤収して横尾へと下る。だいぶ荷物が軽くなり、いつもながら『下りならまかせて』組は運動会で下って行った。
横尾が近くなる頃、屏風岩が手に取るように見え、たくさんあるルートに夏合宿で登ることを誓い横尾へと下る。
上高地までの単調な道のりをだべりながら歩く。来る時にはまだ開通していなかった道路も除雪が終わり、タクシーで松本へ向かう。
松本の夜の街を千鳥足でさまよい、新宿行きの夜行列車に乗る。
盛岡山想会山懐10号より掲載 記:小田中 智 |