デビスタン1峰登頂記

デビスタン１峰(6,678m) 概　要
　デビスタンは、インド北西部ウッタラプラデッシュ州、ガルワールヒマラヤのナンダデビィ山群に属している。　
　ナンダデビィ（祝福された女神）の衛星的な峰で、ナンダデビィの遊び場という意味があり、ナンダクンデ（ナンダの休憩所）、ナンダコート（ナンダの要さい）、トリスル（三叉ノ鉾）と共に、ナンダデビィの伝説に関わりのある、神秘的な響きを持つ山である。
　デビスタンは1961年にグルティアル・シンを隊長とするインド隊が登頂しているが、その後の記録はＩＭＦにはなく、不明である。
　ガルワールヒマラヤの日本人の記録は、1936年立教大隊が日本で初めて実施したヒマラヤ登山であるナンダコットの登頂があるのみで、ナンダデビィ内院はもちろん、ガルワールヒマラヤに入った記録はない。
　デビスタンは、ナンダデビィの内院にあり、ナンダデビィに源を発するリシ・ガンガをさかのぼらなければならないが、ヤング・ハズバンドは、リシ・ガンガの状況を次のように述べている。
「長さ70kmにも及ぶ障壁の環に取り囲まれていて、その壁の上には6,400ｍ以上の峰が12座も立っている。そして、その壁には、どちらも5,000ｍの所はない。ただ１カ所西方にリシ・ガンガが、自らはけ口を求めるために世界中で屈指の、ものすごいゴルジュを掘り開いて流れている」と。
　このようにリシ・ガンガのそ行は、困難と危険が同居しており、内院に入るためのポイントとなっている。
ガルワールについては、ロングスタッフが
　「全アジアの高地で最も素晴らしい地域だと信じている。カラコルムの広大さも、エベレストの支配的高さも、ヒンズークシュのコーカサス的な柔らかな美しさも、その他ヒマラヤの多くのどの地域も、ガルワールにはかなうまい。山と谷、森林と草地、鳥と動物、蝶と花、全てガルワールではうまく結びついている」と言っているように、谷筋にはモミの木が茂り、ヨーロッパ的な景観を見せていたし、何10種という色とりどりの高山の花が咲き乱れる草原には、大角カモシカが遊んでおり、岩陰にはナキウサギが顔をのぞかせており、魅力あふれる地域だった。　　
　リシ・ガンガのそ行は、1883年Ｗ・Ｗグレアムが、内院に入ろうとしてレニから入ったが、数100ｍの断崖に阻まれて失敗し、引き続きラタからリシ・ガンガに入ろうとしたが途中、地元民が「この谷には、悪魔が住んでいる」と言って、逃げてしまい、断念している。
　1905年、ロングスタッフは、リシ・ガンガをさかのぼる予定だったが、最終的にはロン谷からコル（ロングスタッフのコル）に立って、内院を初めてながめた。1907年、ロングスタッフ、Ｃ・Ｇブルース、Ａ・Ｌマムがバキン氷河をそ行し、ラマニ氷河を下り、リシ・ガンガを下ってラタに帰った。
　1934年、シプトンとテールマンがリシ・ガンガを通り、ナンダデビィの内院に達した。1936年イギリスとアメリカの合同隊がナンダデビィの頂上に立っており、1951年にはフランス隊によって双峰の縦走が試みられるなど、活発な活動が行われるようになったが、1951年にインド政府の内部事情により外国人の立入禁止地域となり、20年以上の長期に渡って閉鎖されていた。
1974年６月26日付きでインナーラインを変更し、再びガルワール地域が外国人に開かれることとなった。
ガルワールは、自動車道が発達しており、ライトエクスペディションに適していて、非常に注目されている。　

隊員の募集と山の選考
　昭和50年プレに、県山岳協会としてヒマラヤ登山隊を出すことで、加盟団体へ参加者を募集した。その内容は
　　(1) 登山対象は、7,000ｍ前後の山
　　(2)　期間は、２カ月
　　(3)　個人負担、50万円以内
　　(4)　隊員は、加盟団体の長が責任を持って推薦する意欲的、積極的な者
　これらの４項目からなっており、(2)と(3)の期間と個人負担については、隊員となる人の勤務事情等を考え、退職しないで参加でき得る期間と、今後、何度か海外登山を目指すことを考え、可能な限り節約をして、個人負担を最小限にするためのものだった。
　隊員希望者は、県内各会から20名集まり、そのうち半数は盛岡山想会からだった。それは、会の海外登山研究会のメンバーがそのまま協会のヒマラヤ登山隊へ応募した形となったからだった。
　山想会独自のヒマラヤ登山を考えるとき、総体的に見ると、力不足という点を否定できなく、「ヒマラヤ登山を協会で行うことにより、県内の優秀なメンバーを集めることが出来、組織的にも万全な体制が取れ、より現実的になるので、登山の成功の可能性が大である」との判断から、会の研究会を解散し、協会のヒマラヤ登山に応募したのである。
　準備が進むにつれ、家庭、職場あるいは個人的な事情や都合によって半年後には半数になっていた。　　　
　その間、登山の訓練や装備、食料等の研究、山小屋管理の奉仕を通じて自己抑制やチームワークの強化を図ってきたが、目的の山が決定しない辛さがあった。
　初め、マナスル山系のバウダピークの計画を進めていたが、弘前海外登山研究会とかち合い、断念。49年７月にダウラギリ山群のツクチェピークに決まり、申請書の提出までこぎ着けたが、丁度この時期にネパールの部族内紛問題が発生し、中部以西が立入禁止となり、入山許可の見通しがつかず、計画を断念せざるを得なかった。
　一時は、50年度実施は無理ではないかとも思われた。しかし、「せっかく盛り上げた機運を消してしまうと、次に燃やすことはなかなか大変である」と言う矢羽々昭夫理事長の意見で、再び委員会では気を奮い立たせて、山の選定作業に入った。
　こうして夏に入り、「インドのガルワールが解禁される」との情報を得、早速これに焦点を絞ってみた。
　この山域は、日本人があまり入っておらず、ロングスタッフが活躍した舞台でもあって、魅力あふれる山群だった。特にナンダデビィ内院は日本人にとって、未知の世界だった。
　いろいろ調べた結果、トリスル（7,120m）を選び、インド登山財団（ＩＭＦ）に登山許可申請書を提出した。
　返事には、「トリスルは国際隊が入山するので、ムリクツーニまたはデビスタン１峰か２峰ならよい」という答えが返ってきた。
　再度、「この３峰のうち、許可の出せる山に申請したい」と文書を送ったところ、「デビスタン１峰を４～５月の期間で許可する（我々の計画は５～６月）」ということになった。
　この回答が手元に届いたのが２月３日のことで、結局２カ月足らずで一切の準備を完了し、出発しなければならないという厳しいものだった。

会の支援体制
　会から10名の隊員希望者があった。全員参加できるわけではないことはみんな知っていたが、今まで会が行った勉強以上のものが期待できたからだった。
　しかし、現実は考えていたほど甘いものではなかった。山の選考にしても２転３転したし、隊員の休暇、資金面等で多くの未解決のことがあり、その間に多くの隊員候補者が次々と去っていった。
　計画が具体的になり、資金の調達、食料の寄贈、装備の持ち寄りなど、各会から集まったものを見ると、単純に見ても７名の隊員のうち、隊長を含めて４名が山想会から出ており、それなりの支援が成されるべきと思ったが、会の委員会でも、支援について議論されることは少なかった。
　また、個々の事情で去っていった会員たちも、集会に顔すら出さない有様だった。これらを他の会と比較するのは間違いかも知れないが、わが会は、県内でも有数なネームバリューと組織力を持っていると自覚しており、どうしても比較せざるを得なかった。
　私は、職場山岳部にも属していて、勤務に積極的に協力してもらったのを始め、職場では普段使用しないユマールやホエーブスを購入してもらったり、資金の調達など絶大なる支援を受け、非常に恵まれた立場にあったが、会のメンバーには必ずしも恵まれた者ばかりではなかった。
　少なくても、会を代表して協会のヒマラヤ登山隊に参加することを委員会で決定したのだから、一部の会員だけでなく、会として強力なバックアップ、特に精神的な支援が欲しかった。

日　誌
　４月11日　日本発
　４月12日　バンコク着　
　４月13日　バンコク発
　４月14日　ニューデリー着　　
　４月15日～４月21日
　ニューデリーで通関手続き、装備・食料の購入、バスの手配、リエゾン等に対する保険手続き等。
　４月22日　ニューデリー発
　４月24日　ラタ着

ガルワールヒマラヤ山群概念図

キャンプ高度表
　・ラタ 2,475m　　・ラタカラク 3,830m　　・ダランシーパス 4,252m　　・ダランシー　4,080m
　・マルクツニー峠 4,237m　　・デブリゲート 3,450m　　・デオリ 3,292m　　・ラマニ　3,500m
　・ブジガラ　3,920m　　・パタルカン　4,200m　　・サルソパタール(BC)　　・Ｃ1　5,120m
　・Ｃ2　5,680m　　・Ｃ3　6,080m　　・デビスタン１峰　6,678m

キャラバン開始　
４月25日
　集まった４人のポーターと渡辺、澤田、岩淵、小田中の４人の隊員は、ラタカラクまで荷上げのため出発。残りの工藤(洋)、工藤(幸)、土門はその日もポーター集めのため歩き回る。
　近くに小学校があり、授業は朝７時頃から始まり、２～３時間で終わる。
　畑では６時頃から牛を使って耕している。農家はいずこも朝が早い。その日の仕事はポーターの荷物の重量統一である。

４月26日
　朝８時に６人のポーターが集まり、ラタカラクまでの荷上げだ。ラタは丁度岩手山の頂上くらいの高さにある。
　私はリエゾンと一緒に２kmくらい離れたレニまでポーターの食料を買いに行く。

４月27日
　朝４時に４人のポーターが来て、早速荷物を渡す。
　今日は日曜日なので、道路工事などに従事している人夫などが休みで、１日だけなら協力してくれるということで、６時には20数人が集まり、ほとんどの荷物を運ぶことが出来た。
　８時にも１日だけの人夫が20数人集まったが、もう荷物はほとんどなく、我々の泊まったテントと食料のみだ。
　ベースキャンプまで入るポーターだけ雇い、一緒にラタカラクまで登る。
　すごい登りである。１日で1,600ｍ登るとラタカラクに着いた。富士山の頂上くらいの高さだ。先に上げた荷物が山となって積まれている。
　ルート工作に行った隊員が戻ってくる。厳しいルートのようだ。ここからは雪なので登山靴無しでは歩けない。

４月28日
　荷上げ隊より一足先に岩淵と２人でルート工作に出る。朝は雪が堅く、ポーターがスリップしないようにバケツを掘り、危険個所にはフィックスザイルを固定する。
　随分進むが、キャンプ予定地は見えなく、ここにポーター達の荷物をデポさせ、テントに戻ったのは６時だった。

４月29日
　今日も昨日の残りのルート工作のため、工藤(洋)と荷上げ隊より一足先にテントを出る。
　急な斜面をダイレクトに登る所にもフィックスする。今日もダランシーパスにたどり着けず、その手前で引き返す。下りも少しでも急ぐと頭が痛くなるので、ゆっくり歩く。

４月30日
　ダランシーパスへ荷上げを開始する。４人の隊員と４人のポーターはダランシーパスに泊まり、ダランシーへのルート工作とパスまでの荷上げ、残りはラタカラクからの荷上げをする。
　この頃から一部の隊員に高度障害が現れる。

５月１日
　個人装備を背負い、ラタカラクを出る。途中で国境警備隊員のフクム・シンが、約束通りポーターを６人連れて登ってき来くれた。
　今は１人でも多くのポーターが必要な時だけに、非常に有り難かった。

５月２日
　ダランシーパスからダランシーへ。
「これがキャラバンルートか」と思うような岩と雪のルート。滝谷をトラバースするような所で、気を引き締める。
　高度の影響か頭痛がしてくる。午後になると決まって雲が出てきて、夕方には小雪となる。

５月３日
　ダランシーを後に雪原を登り、マルクツニー峠に出る。その後、一気に下るとハヌマン川で、丸木橋を渡るとデブリゲートのキャンプサイトである。

　　　　　デビスタン１峰(右)、デビスタン２峰(左)　デブリゲートとデオリの中間点より　この後Ｃ2まで見えない

５月４日
　今日はデオリへ向かって荷上げをする。
　荷上げして帰ってきたポーター達と途中で会ったので、デオリまでの時間を聞いたら、「あと２時間はかかる」と言う。そうするとデブリゲートへ戻るのに３～４時間はかかり、夜になるので付近の岩小屋にデポして戻る。
　夜はポーター達とキャンプファイヤーを囲み、テープで彼らの歌を録音して聞かせ、楽しい一時を過ごした。

５月５日
　帰りのキャラバン食を１箱残して出発する。今日も午後から天気は崩れてきた。
　リシ・ガンガに架かっている橋を渡るとデオリに着いた。
　今日が誕生日の人がいたのでウイスキー１本開ける。

５月６日
　４人の隊員と10人のポーターはラマニへ向かう。私と渡辺、小田中は一昨日デポした荷物を取りに岩小屋まで戻る。
　40kg近い荷物が肩に食い込み、ゆっくりデオリに入る。先発の岩淵、工藤(洋)、工藤(幸)、澤田はラマニに入る。　

５月７日
　今日は１日中快晴だ。リシ・ガンガの左岸をトラバースして行くが、背負子の荷が密生したシャクナゲに引っかかり苦労する。
　トリスルナーラのスノーブリッジを渡り、ラマニに着いたのは２時半で、５kmの道に７時間かかった。テントの中には、２人が歯痛と下痢で寝込んでいた。
　今日、８人のポーターはラタへ帰り、ベースキャンプまで入ってくれるポーターは４人だけとなり、この先の隊荷は隊員７名の肩にかかることとなる。
　今まで以上に厳しいルートであることを、先発の者から聞かされる。

５月８日
　今日は小田中と共に隊長から気合いを入れられた。その後、岩淵と２人でルート工作に出る。
　昨日フィックスした４カ所を補強し、更に２カ所フィックスしてブジガラに着く。
　福寿草に似た花が所々に咲いている。日本のそれより少し小さい感じだ。
　今朝の隊長の気合を小田中の日誌で紹介しよう。
　「朝起きると隊長に呼ばれ、何でポーターを追い出してまでポーターのテントに寝なければならない。夜遅くまで騒いで、ポーターが寝る所がないと言って私の所に来て寝た。今ポーターが１人でも必要な時に、ポーターに嫌な思いをさせた。お前は隊員の資格がない。切符を返すから帰れと、ものすごくどなられた。
　確かに私が悪いが、「皆が反対するのを押し切って、お前を隊員にした」と言われると、カッと頭にきた。しかし、よく考えてみると確かに隊員の資格がないかも知れない。私達は軽量化のためベースより上で使うことにしていたミラーマットは、ポーターに持って行かれるし、トランシーバーがないため、タクティックス上の問題から、Ｃ３に予備に置くことになっていた半シュラフもポーターに使用され、ラタに持って行かれてしまった。装備係として管理がだらしなかった。
　昨日は隊長と一緒にデオリを出たが、リエゾンの面倒を見たと言いながら、隊長より２時間も遅れてデオリに着いたこと、今までコンディションを崩し、最も働かなければならない自分が、１番働いていなかったことなど、どなられる要素はたくさんあった。
　それに、隊自体も気が緩んでいた。ルート工作に出した工藤(幸)と澤田は、昨日私たちがデオリに着いた時は、テントで寝込んでいた。そのような状態であったから強引にポーターを引き留めることが出来なかったのかも知れない。
　それに、これからのルートは更に厳しく、ここで身を引き締めなければならない時だけに、皆に気合いを入れる必要があったのかも知れない。その犠牲に、年が若く、しかも同じ会の私と土門がなったのだ。
　隣のテントまで聞こえるような大声は、間接的には全員に気合いを入れたのかも知れない。そのように善意に解釈すると、頭にカッときた時のエネルギーは、“よし、これからやるぞ”という気迫に変わった…。」と記されている。

５月９日
　ガイド兼ポーターのウダイ・シンと、岩淵と私の３人は、ブジガラを出発。必要最小限の荷物と食料でパタルカンまでのルート工作に向かう。
　途中、逆層の１枚岩のトラバースがあったりして、よくこんなルートを発見したものだと思うようなルートである。
　最初、ダイレクトに草付き混じりの岩を登り、雪渓を詰め、雪の付いた急斜面を大トラバースする。このトラバースのカッティングに時間を食い、パタルカンまでの予定が、途中のチルキャンナニでツエルトを被る。
　今日フィックスした場所は、岩と草がミックスした不安定な所と、逆層の岩のトラバースなどに限定したが、ロックハーケンが残り少なくなり、心細い。
　この日、隊長ほか全員がブジガラに入っており、隊長の日誌には、次のように書いてあった。
　「ラマニで小田中と土門に直接、そして若い隊員には間接的に気合いをかけたためか、隊員は非常によく頑張った。岩淵と土門がフィックスした逆層の１枚岩のトラバースを、重い荷物を背負いながら無事通過し、ブジガラに着くと、急斜面に僅かながら石を積んだテントサイトがあった。
　直ぐ前には大きな雪渓があり、トリスルナーラとリシ・ガンガの間に伸びる尾根へ続いている。その向こうは大きな岩壁となっており、ベースキャンプに入るためには、その岩壁のどこかにルートを求めなければならない。しかし、雪渓を渡ってみたが、ルートらしきものは全く見あたらない。ルート工作隊は、どこを通ったのであろうか。この雪渓を登り詰めるのだろうか、しかし、雪渓には踏み跡が見つからない。
　澤田に夕やみが迫る頃、300ｍ位上部を偵察させると、正面の岩の陰にルート工作隊のツエルトを発見して帰って来た。後に続く者が判らないようなルート工作なんてあるだろうか。こんな愚痴も言いたくなるが、我がパーティには、こんな状態でも登攀用具を使うことが出来ないほど手持ちがなく、納得せざるを得なかった」と。

５月10日
　出発しようとしたところ、ウダイ・シンが、「これから登る斜面に陽が射し、雪が柔らかくなるまで待とう」というので、待つことにする。
　パタルカンには４時間で着いた。ここは斜面に石を敷き並べたテントサイトである。
　荷を置いてルート工作に出る。逆層のスラブにフィックスを張る。ここのトラバースは微妙なバランスを要する。本隊が私達に追い付くと思っていたが、登って来なかった。
　昨日に引き続き、隊長の日誌には、この日の行動と、コースの状況を次の通り記してあった。
　「今日は、荷上げのため、前に横たわる雪渓を渡ると、こんな所にと思われる岩場にルートがあった。急な草付きとなっており、所々にフィツクスロープが張ってあった。やがてルートが判らなくなり行き詰まってしまった。
　岩壁を見上げながら思案していると、はるか上方の雪渓に踏み跡を発見した。荷上げが仕事と思っていても、あの高さまで登らなければならないと思うと、絶望的になり、なかなか一歩が踏み出せない。
　ルートは、300ｍほど登った所の大きな岩壁の中腹を走るバンドに、不安定に付いている雪渓に下り気味についている。大分大きく足場を切ってくれてはいたが、非常に不安定で、工作隊の苦労がよく分かる。
　一歩誤れば1,000ｍ、いや2,000ｍかも知れない。ノーバンドでリシ・ガンガに叩き落ちるのだ。このトラバースが終わるとルンゼの向こうに、昨日澤田が見た工作隊のツエルトを張った跡があった。
　リシ・ガンガに落ちる大きな滝の上部を慎重にトラバースして、その場所に着くと、彼らが１泊した跡があり、その先へと進むが、途中で行き詰まってしまった。垂直の大きな岩壁がリシ・ガンガまで続き、どうしようもない。その手前にはルンゼがあったが、大きな滝が氷柱となっており、全くどうすることもできなかった。
　彼らは本当に先へ進んだのだろうか、この岩に取付いたのであれば、そんなに進むことは出来ず、どこかに見えるはずだが見あたらない。前方の岩を眺めているだけで時間はどんどん過ぎていく。ロングスタッフが、“君たちが実際に行ってみて、その場に鼻をつけてみれば、行けるかどうかわかる”と言っているのを思いだし、なんとかルートを探したが、全然わからなかった。　　
　昨日に続き、今日も工作隊のルートを見失ってしまった。
　ブジガラまで引き返すため、工作隊がツエルトを張った場所まで戻り、荷物をデポし引き返す。こんな調子ではＢＣまで入れるだろうか。大きな荷物を背負って登るよりも、予定通りことが運ばなかったときの虚脱感というか、焦燥感というか、何とも言えないくらい心と足が重い。
　雪渓を登り切ると、右側の岩壁のはるか上方についている雪渓に、点々と踏み跡らしいものがついている。カモシカの足跡だろうか。いや、工作隊のものだと自分に言い聞かせたが、工作隊のものだとすれば、うれしいような気もしたが、この岩を重い荷物を担いで登らなければならないことを思うと、複雑な気持ちだった。
　取り付きに行ってみると、岩についている雪に登山靴の跡があった。厳しいながらも、前が開けたのだ」と。

５月11日
　空身でパタルカンを出発。二つほど大きな尾根を越えると、雪の斜面のトラバースで、随分長く感じられた。途中、バーラル（大角カモシカ）の群に出会う。我々に気がつくと素早く急斜面を駆け上がって行った。また、雷鳥に似た鳥もいた。
　ベースキャンプ地まで行く予定だったが、時間切れとなって引き返す。パタルカンに戻ると、荷上げしてき仲間が待っていた。これで全員集合し、明日からはベースキャンプへの荷上げをするのだ。

５月12日
　７人でベースに向かう。空身より荷を背負ったほうが調子がいい。５時間でＢＣ地点のサルソパタールに着く。　4,430ｍの地点にテントを張り、隊長と澤田がＢＣ入りする。５名はパタルカンに戻ると、ポーターたちはブジガラから全隊荷の荷上げを終えていた。
　ポーター食もなくなり、日本食を食べさせる。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ベースキャンプ

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ナンダ・デビ　ベースキャンプ付近より

５月13日
　４人のポーターと、残りの５名の隊員とでＢＣへ荷上げする。ＢＣの直ぐ脇にナンダ・デビがそびえている。

５月14日
　最後まで残ってくれた４人のポーターと、残り５人の隊員と、リエゾン・オフィサーとでパタルカンを後にする。今日で荷物は全部ＢＣに運び終わる。
　我々もＢＣインできるので、心も晴れやかだ。結局、ＢＣまで20日間を要した。４人のポーター達は随分頑張ってくれた。

５月15日
　渡辺を残しＣ１を目指して６人で出発。先にＢＣ入りしていた渡辺、澤田がＣ１までのルートを見つけていたので、あまり苦労することなく登ることができた。小さな尾根を３つ、４つ越してナンダデビィ氷河正面付近から尾根に取り付く。高度のせいか数歩歩いては立ち止まり、呼吸を整える。
　Ｃ１はデビスタン１峰から派生している尾根の5,120ｍに建設する。ここからはデビスタン２峰は見えるが、目指す１峰はまだ見えない。工藤(洋)、澤田がＣ１入りし、岩淵、小田中、工藤(幸)、土門はＢＣに引き返す。

５月16日
　今日のＣ１までの荷上げは、隊長、岩淵、小田中、工藤(幸)、土門が当たる。みんな体調良く、昨日より１時間早く着く。帰りは雪となる。
　工藤(洋)、澤田はＣ２目指したが、深雪と高度の影響を受け、途中にデポして引き返す。

５月17日
　隊長、岩淵、小田中、工藤(幸)、土門の５人で荷上げし、岩淵、工藤(幸)の２名がＣ１に入る。
　工藤(洋)、澤田はＣ２手前まで荷上げしたが、悪天候によりＣ１に引き返す。
　明日は全員Ｃ１に入ることが出来るだろう。

５月18日
　１日中雪が降り、Ｃ１では停滞だ。
　隊長、小田中、土門とリエゾン・オフィサーの４人もＣ１入りする。

５月19日
　昨日とはうって変わっての快晴だ。体調も良く、Ｃ２目指して快調にステップを切る。
　登るにしたがって、だんだんラッセルになってくるが、この高さでのラッセルは非常にきつい。
　5,680ｍにＣ２を建設した。Ｃ２付近にはヒドンクレバスがあり、私も落ちてしまったが、幸い無事だった。
　デビスタン１からのアイスフォールで豪快な雪崩が見られた。工藤(洋)、澤田の２人はＣ２入り。
　明日はＣ３へのルート工作を担当する。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Ｃ2から北方に見える山

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Ｃ2から東方に見える山

５月20日
　隊長、岩淵、小田中、工藤(幸)、土門はＣ２まで荷上げし、隊長と土門はＣ２に入った。
　Ｃ２まで１回しか登っていないので高度順化していない。Ｃ２は４人になったが、呼吸が苦しくて眠れない。

５月21日
　朝から吹雪で、停滞。
　登山日数がキャラバンで食われたので、タイムリミットが迫っている。

５月22日
　今日は全員Ｃ２入りするため、Ｃ１は空になることからリエゾン・オフィサーをＢＣに下らせることとしたが、リエゾン・オフィサーに付き添う余裕がないので事情を説明して１人で下って貰うことの了解を得る。
　岩淵、小田中、工藤(幸)はＣ２入りする。
　Ｃ３建設に隊長、工藤(洋)、澤田、土門の４人は出発。昨日降った雪でラッセルがひどく、Ｃ３の予定地には時間切れで到達できず、6,000ｍ付近に仮のＣ３を作り、土門と隊長が残る。

５月23日
　隊長と土門は６時半、空身でラッセルし、１時間くらいでＣ３予定地に着き、テント場を作ってから仮のＣ３に下って荷上げを開始する。
　２回目の荷上げの時に工藤(洋)、澤田に続いて岩淵、小田中、工藤(幸)が登って来て、Ｃ３を6,080ｍに建設、全員Ｃ3に集結し、いよいよ明日はアタックだ。
　最終キャンプでの隊長は、何を考えていただろうか、後日、隊長の日誌を見ると
　「厳しいキャラバンを終え、最終キャンプに入った。明後日はアタック隊を出すことが出来るのだ。
　アタック隊を誰にしようか、工藤(洋)と岩淵を第１陣にしたいのだが、風邪で調子を崩している岩淵は、小田中、工藤(幸)とＣ１まで下りているし、土門は、私と一緒に最終キャンプにいるのだが、どうも調子が悪いらしい。
　そうすると、アタックは私と工藤(洋)と澤田のうちから２人を出さなくてはならない。高度はまだ700ｍ残っており、かなり厳しいものとなるだろう。
　そうなると体力的に劣る私が残った方がいいだろう。しかし、登頂日が１日しかないことを考えると、会から登頂者が出ないことになる。県山協の隊長であるはずの自分が、いつの間にか山想会の渡辺になっていたことに気がついた。
　私と工藤(洋)の２人で登ると、隊長と副隊長が登ることになり、隊員を犠牲にしてしまうことになる。私は、隊員に対して出身会を忘れ完全に県山協の隊員になれと言っておりながら、真の隊長の資格に欠けていたことに気がついた。よし、これからでも遅くない。会のことを忘れ、確実に頂上を勝ち取ることを考えよう。と思ったが、全く考え過ぎだった。
　土門と私が最終キャンプを作り終えた頃、Ｃ２にいた工藤(洋)と澤田が登って来た。更にＣ１にいたはずの岩淵、工藤(幸)、小田中が登ってきたのではないか。トランシーバーの持っていない我々は、キャンプ間の連絡は全く取れなかったが、登頂日は明日しかないことを理解していた岩淵、工藤(幸)、小田中は、昨日、Ｃ１からＣ２に入り、一気に登って来たのだった。
　どの顔を見ても快調なように見せている。明日のアタック隊に選ばれるために調子がいい振りをしているのだろうか、いや、そんなことはなかった。本当に、明日の登頂に備えてコンディションを整えてきたと思われるほど、皆絶好調だった。
　もう、迷いはなかった。明日は全員でアタックしよう。しかも同時に、それが計画時からの私たちの考えであった。…」　
と、書いてあった。

５月24日
　３時半起床、空は満天の星空だった。４時半、夜明け前の薄明かりにザイルを結んで出発する。相変わらずラッセルはひどい。
　アイスビルディングの下をトラバースした時、小さな表層雪崩が起きて、１人が数ｍ流されたが、無事だった。深くて長いラッセルと、薄い空気に苦しめられながら最後の雪壁を越えて行く岩淵に続いて雪稜に出ると、目前にトリスルが現れた。
　緩やかな雪稜をたどり、12時15分、ついにデビスタン１峰の頂上に立った。キャラバンを開始してから丁度１ヵ月目だった。皆感激して肩をたたき合って喜んだ。

　　　　　　　　　　　　デビスタン１峰山頂にて　左から岩淵、渡辺、工藤(幸)、小田中、澤田、土門、工藤(洋)

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　山頂から南方に見える山

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　山頂から西方に見える山

５月25日　Ｃ３、Ｃ２撤収

５月26日　Ｃ１撤収

５月27日　ＢＣ～パタルカン

５月28日　パタルカン～トリスルナーラ

５月29日　トリスルナーラ～デブリゲート

５月30日　デブリゲート～ダランシー

５月31日　ダランシー～ラタ　キャラバン終了

６月９日　ニューデリー発

６月13日　日本着

反省と今後の課題
　この登山を振り返ってみて、多々ある反省事項の中で、特に感じたことを２点に絞って述べてみる。
　一つはメンバーシップの問題で、他の一つは語学力の問題である。
　人員構成は、年齢的に非常に良いものだったが、複数の団体からなり、そのうち隊長を含め過半数の４名が山想会から出ている場合、当然、長いテント生活をしている間に、馴れ合い的なものが出てくるのだが、日本を離れる前に、充分確認し合っていたので問題がなかったが、逆に、他の会員とのチームワークを良くしようと心がけた結果、会内の話題を押さえた状態で、会員ばかりの時は息苦しい時もあった。
　メンバーシップについて、会員として大いに反省しなければならない点は、第１に一般的な常識の不足が目立った。
例えば、リエゾンや隊長に対する会話の仕方、組織の中における自分の立場を見極める力が弱かった。
　組織を離れた時はともかくとして、一旦、組織の中に入ったなら、当然各々の立場を理解し、言動には十分配慮しなくてはならない。これはヒマラヤ登山に限ったことではなく、山想会内で、日常、複数以上の人間が集まった時から既に始まっているのである。
　いつか、例会で瀬川（佳）さんから「先輩に対する言葉遣い」を指摘されたことがあったが、ヒマラヤでの異常な環境下で、一般常識と考えられるような事柄を守られなかったということは、当然、日常生活態度から反省しなければならないことである。　
　第２点は、各自に与えられた責任を全うすべきであるということだ。私自身、食糧係だった。ラタカラクからダランシーパスまでの荷上げ中に、ポーターが食料ボックスを落下させてしまった。
　隊として行動計画に大きな影響があるにも関わらず、隊長に報告しないで、自分勝手に判断し、予備食で賄おうとしたが、具体的なタクティクスを練っている隊長に報告し、今後のプランを練り直して、全員に周知徹底をさせるべきだったと思う。
　これは、普段、会の山行を通じて、次に自分とか会は何をしなければならないかを、常に考える姿勢に欠けていたのが現れたものと反省している。
　今後、会の山行において、メンバーシップについて大いに学ばなければならない。日常小さなこととして気にかけないでいることも、大きな山行、厳しい山行をしているうちに、欠点として出てくるものだ。登山のルールとけじめをハッキリ身につけなければならない。
　その外の大きな問題点は、語学力である。
　これから会が海外の山を目指すのであれば、必要不可欠なことである。
　国内で登山をするためには、体力、技術、精神力と知識があれば可能だが、海外の山を登るためには、登山力プラス語学力が必要である。
　日本語の通じない国で相手に用件を伝えるためには、相手の国語か英語を勉強していかなければならないことを痛切に感じた。
　例えば、語学力のある渉外係が１人いたとしても、対登山局との折衝や税関での通関手続きに非常に忙しく、各自の業務分担は各自が責任を持って処理できるだけの語学力をつけなければ、スムーズな登山は出来ないし、相手側の話が分からなければ意志の疎通に欠ける。
　また、その国を十分理解することは不可能である。
　語学力の問題は山想会の研究会でも議論されることはなかったが、海外登山を目指すためには、地域研究以外に語学も論ぜられなければならなく、これを避けてヒマラヤ登山は考えられないと思った。
　英語を話せない人は、話せる一人の何10倍もの時間をロスしてしまうことを痛感した。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　故　土　門　一　男　記

山岳ガイド小田中　智のサイト

デビスタン1峰の動画を公開
画像クリックでYouTubeの動画が
見れます。1時間9分

デビスタン１峰
　ベースキャンプに入っても姿を見せなかったデビスタンⅠ峰。食料も空気も少ない中をＢＣに入って３日目にナンダデビ氷河に入って行くと、突然背後に姿を現し、ルートを発見して沢田君と抱き合って喜んだ。この全景を見た者は渡辺と沢田君のだけだった。

ナンダ・デビ
「祝福された女神」、「世界で最も美しい双耳峰」と言われるナンダ・デビ。1951年以来入山禁止になっていたが1974年にインナーラインが変更になり入山できるようになった。しかし、私たちがこの山域に入って間もなく再び入山禁止区域となった。

ダランシーパスへの荷揚げ　
　長大な雪の斜面を隊員たちは30kg近くの荷を担いで往復した。

デビスタン１峰(右)、２峰(左)
　デブリゲートとデオリ中間点より初めて姿を現したが、以後Ｃ2まで見ることができなかった。

リシ・ガンガを荷上げする隊員
ラマニとブジガラ間の岩場トラバース
「西にリシ・ガンガが水のはけ口を求め、おそらく世界でも最も屈指の物凄いゴルジュを開いて流れている」とヤング・ハズバンドが言っているように、ラマニからブジガラまでの側壁は逆層の垂直の壁だった。ルート工作隊の岩淵君と土門君の活躍でルートが開かれた。

リシ・ガンガ　ブジガラ付近から
「おそらく世界でも最も屈指の物凄いゴルジュを開いて流れている」とヤング・ハズバンドが言ってい谷。

チルチャンナニ付近
　岩壁の真ん中がルートだ。

チルチャンナニ付近
　急な雪の斜面を行くルート工作隊。

ナンダ・デビ
　パタルカンとベースキャンプの間から正面に見える。

ベースキャンプ
　私たちにとってベースキャンプは休養の場ではなく、荷物の通過地点だった。この粗末なテントに７人の隊員とリエゾン・オフィサーが寝泊まりした。
　若き空軍将校はこのテントで私たちの下山を待っていてくれたのである。

ナンダ・デビ
　Ｃ1より望む。

デビスタン１峰
　５月24日12時15分、７人全員がデビスタン１峰の頂上に立った。世界で最も厳しいと言われているインドの通関、グレアムがさしかかったとき「ここには悪魔が住んでいる」と言ってポーターが逃げ出した死の臭いがするダランシー・パスの乗越し、ヤング・ハズバンドに「世界で最も屈指の物凄いゴルジュ」と言わせたリシ・ガンガの通過、食料も酸素も少ない中でみんなが力を合わせて登った頂だった。

頂上を後にＣ３に下る隊員
　みんな疲れていた。よたよたと歩いて尻餅つけば立ち上がるのに大変な勇気が必要だった。それでも一歩毎に濃くなる空気に励まされて、鉛のように重い足を引きずりながらＣ3へ下りた。

故土門　一男　さん
　食料係を担当し、キャラバンの日数が大幅に伸びたため食料が少なく、食糧管理やルート工作に活躍した。
　1982年病に倒れ、１年半の闘病生活の末、1984年2月34歳の若さで亡くなった。

↑ページの先頭に戻る